ここは、中国を南北に走る街道にある、中規模の町『シャコワン』。
「…はぁ」
町のギルド(冒険者宛に、町民から依頼を集めて配り直す施設)から、一人の少年が出て来た。
右手には、一枚の依頼書が握られている。
「盗賊の退治、か…」
もう一度依頼内容に目を通し、カイル・デファーニは町の東に向けて歩き出した。
「仕方ないとは言え、あの言い方はないよなぁ…」
一週間前から彼と共に行動しているはずの女性、イリス・カラハスの姿が見当たらないが…。
「なぁ〜にが『それじゃここで別れましょう』だよ。僕はイリスの事が心配なだけだったのに」
この三日間で何があったのか? それを示すには時間を遡らねばならない。
◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇
シャコワンに到着して初日。町の南端にある宿屋前に二人の姿があった。
「ねえ、イリス。とりあえずは北に向かうんだよね?」
「ええそうよ。とは言っても、今日はまだ太陽が高いわ。今日の所はこの町に泊まるのはナシよ」
「………」
カイルは無言で、宿屋の看板を眺めた。
「今日は休まないって言ってるでしょう?」
「だけどさ…」
こちらを向いて半分怒ったような表情をしているイリスに、カイルは申し訳なさそうに視線を送った。
「ここに着くまでに、僕の所為で怪我しちゃっただろ?それが心配でさ…」
カイルの視線の先には、イリスの左足首に巻かれた白い包帯が在った。
この町に到着する数時間前、魔物の奇襲を受けたカイルを庇って出来た傷である。
「これくらい、どうと言う事もないわ。今日は休まないで旅を続ける」
多少歩き辛そうにしているのを隠し通せているとでも思っているのだろうか、イリスは頑なに進む事を譲らない。
「……イヤだね」
そんなイリスに対して、カイルは宿屋の前に座り込んだ。
「今日は泊まる。泊まるったら泊まる!」
暫く睨み合っていた二人だったが、やがてイリスが小さく溜め息をついた。
「…分かったわ」
苦笑を浮かべるイリスに、カイルの顔に笑顔が浮かんだ。
「それじゃここで分かれましょう。もうあんたみたいなお子様とは旅なんか出来ないわ」
「…え?」
鳩に豆鉄砲を食らったような表情のカイルを一人置いて、イリスはスタスタと北に向かって歩き出してしまった。
「…な、なんだよそれ!」
我に帰ったカイルが叫んだ時には、既に視界からイリスの姿は消えていた。
「…なんだよ……」
◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇
そんなこんなで、現在。
「…」
カイルは生活費を稼ぐ為にギルドで仕事を探していたという訳だ。
「この辺りが、よく盗賊の出没する場所だな」
周囲を見まわすと、そこは東に在る小さな町に向かう街道の中ほど。木々が生い茂り、少し視界が悪い。
「ここらで、盗賊を待とうかな…」
そのついでに、周囲の地形を把握する為も兼ねて街道から横道に分け入ってみる。
そのまま少し進むと、意外な物が目に入った。
「…なんだ、これ?」
どう見ても、大きな岩である。くり貫けば、中で人一人が生活できる部屋が作れるほどの大きさの。
「いかにも『何かあります』って岩だな…」
何故かその岩が気になったカイルは、とりあえずその周囲を一回りしてみることにした。
「うーん…ただの岩、かなぁ?」
特に収穫もなくカイルが肩をすくめた時、視界の端に何かが引っ掛かった。
「…あれ??」
それは、カイルが背を伸ばしてギリギリで届くほどに突き出た、岩と全く同じ色の小さな出っ張り。
「ボタン…なのかな?」
カイルは好奇心の命ずるままに、そのボタンらしき突起物に手を伸ばしてみる。
「もしかしたら、盗賊たちの隠れ家か何かかもしれないしね」
それは単なる口実であろう。
カイルの手で、突起物は簡単に引っ込み、
──カチリ ゴ…ン──
重い音を立てて、ただの岩だった場所に扉が出来た。
「おっ!ビンゴ〜!」
嬉しそうに呟いてカイルがその扉に手を伸ばした時。
「坊主。そこで何をしている?」
「!?」
背後で聞こえた声に、カイルは慌てて振り返った。
そこに立っていたのは、三十代後半に差し掛かろうかと言う年齢の男が一人。
引き締まった格闘家特有の体付きをしており、左頬に傷跡が大きく残っている。
両の瞳は左が黒、右が銅。黒い髪を無造作に伸ばして全て後方に撫で付け、一房だけ銀色に染めている。
「そこで何をしている?」
「あ、あの…その、僕は…えと……」
腹に響くような低い声とその表情に、カイルは必要以上に慌てふためいてしまっている。
「(や、やばい!!この人、本気で強い!?)」
男の身体からあふれ出す気配が、彼が只者ではない事を容易に判断させている。
言葉に詰まったカイルが黙り込んでいると、次第に、男の表情から剣呑な物が消え去った。
「ふむ。どうやら、野盗の類では無さそうだな」
その言葉に、カイルはとりあえず必死で首を縦に振った。
「いやいや、驚かせて悪かった。私の居住地に坊主が勝手に入ろうとしていたものでな。てっきり野盗の類かと思ってしまったよ」
男は表情を和らげ、左手で軽く頭をかきながら言葉を続ける。
「あ、ははは…。ここって、あなたの家だったんですね。僕はてっきり、盗賊の根倉の入り口かと…」
「盗賊…それは、最近この街道を荒し回っている輩の事かね?」
「ええ。僕は、町で盗賊退治の依頼を受けて来たんです」
カイルの言葉に、男の顔に驚きが現れた。
「君一人で…かい?」
「ええ。…そうですけど?」
何故か思案顔になった男を見上げ、カイルは首をかしげている。
「失礼な様だが、君の力量ではここの盗賊は難しいと言わざるを得ないな」
「な…っ!」
その言葉にカイルが反論しようとしたが、それより早く男の指が差し出される。
「五回」
「は?」
「五回、ここの盗賊を討とうと討伐隊が編成された。各回ごとに、数名の手練の者達のチームが、だ。
だが、しかし…これまで、一人として」
男の双眸が、鋭く尖った。
「生存者は、居ない」
「…………」
カイルは言葉もなく、ただその場に立ち尽くすしか無かった。
「普通は、そう言う情報を集めてから受けるかどうか決める物なのだが…これから先、旅を続けて行くのであれば覚えておくように」
「あ、は…はい。………と言うか、完全に失念してました」
教師に叱られた生徒のようにしょぼくれてしまっているカイルを見て、男が疑問を浮かべる。
「そんな基礎を忘れるほどに、何か気がかりな事でもあるのかな?」
「あ…ええ、まあ…」
曖昧に頷いたカイルを見て、男の表情が和らいだ。
「どうやら、訳在りの様だね。私で良ければ、相談相手程度にはなれると思うのだがね」
男はそう言いながら、彼の居住地であるらしい岩の洞を指差した。
「私の名前は、オウ・ロウガ。何も出せんが、茶ぐらいならば用意しよう」
◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇
一方、イリスの方は。
「…っ!」
左足に痛みを覚え、立ち止まった。これで、一日に何度目の休憩であろうか。
「自分でも、馬鹿だって解ってるんだけど…」
道端にしゃがみ、左足首に右手で触れる。
掌から淡い光が立ち昇り、足の痛みを一次的に抑え込んでいく。
「…ふぅ」
傷から来る痛みとは別の感覚が、心身に少しの負担を催す。
「やっぱり、泊まって行くべきだったのかしら?」
大まかに描かれた地図を開いてみるが、自分の予定よりも遥かに遅い行軍である。
余談であるが。この世界に正式な地図は存在しない。
恐らく100年前の地図ならば存在していたのであろうが、その昔に起こった大幅な地殻変動により地盤自体が大移動し、氷山の大崩壊により海の水位が急上昇し…。
今では、昔の面影すら感じられない程にまで地形が変化してしまっている場所も数え切れないほどに存在する。
「…しょ、っと」
多少勢いを付けて立ちあがり、イリスは北方を眺めた。
「次の大きな町まで…確か、普通に歩いて4日だって聞いたわね」
前方には、町の影すら見えはしない。
「…あら?」
イリスはその時、耳に違和感を覚えた。
「泣き…声?」
周囲を見回してみるが、南北にはほぼ真っ直ぐな街道が伸び、東西にはススキの様に背が高い雑草が生い茂っている場所である。
「気のせいかしら?」
一度首を捻って前に踏み出そうとした時。今度ははっきりと聴覚が捉えた。
「…西の方。距離は……近いわ」
それだけ確認すると、イリスは西の雑草畑に足を踏み入れた。
暫く進むと多少開けた土地があり、そこに一人の少女が膝を抱えて座り込んでいた。
「…あなたは?」
「……?」
イリスの声に、少女が僅かに見上げてきた。
顔は泥で汚れているが、まだあどけない少女である。
「……」
イリスは一瞬言葉を飲み込んだように見えたが、表面上は平然と腰を下ろした。
目の前にしゃがみ込んだイリスを、少女は不思議そうに見上げている。
「…おねえさん、誰?」
「私は、イリス・カラハス。あなたは?」
「…リアナ。リアナ・ヴィオラ」
「そう」
名乗ってくれたことに少し安心を覚え、イリスはリアナに微笑んで見せた。
「リアナ。お父さんかお母さんは?」
「…わかんない。道で、大勢の人に襲われて……わたしだけ、逃げ…ら…っ…」
言葉の途中から涙で一杯にした少女を、イリスは静かに抱きしめた。
「(盗賊…もしくは野盗。とすると、もうこの子の両親は…)」
リアナが泣き止むまで、イリスは力を込めて少女を抱き寄せていた。
◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇
こちらは、ロウガの家にて事情を説明しているカイル。
家の内部は意外なほどしっかりとしており、外から見たのでは気付かないように巧妙に隠された明かり取りの穴が天井に数ヵ所空いている。
「なるほど。大体の事情はつかめたよ」
カイルの説明に、ロウガは苦笑を浮かべて返した。
「聞く範囲では、そのお嬢さんは駄々をこねて通るタイプでは無さそうだな。完全にカイルの失策だ」
「う……」
多少は賛成してくれる事を期待していたカイルは、ロウガの意見に言葉を詰まらせた。
「冷静に、足の痛みが気にかかることを説き伏せれば、それで済んだのではないのかね?」
「だ、だって…」
もはや、カイルの態度はただの子供の言い訳状態である。
そんなカイルを楽しむ様に眺めていたロウガだったが、ふと表情を引き締めた。
「ふむ。しかし…急いで追いつくことが肝要かも知れぬな」
「え?どうしてだい?」
出された茶に右手を伸ばす格好で、カイルが疑問を挟む。
「なに。所詮は老婆心ながらも、この街道の盗賊どもが南北の街道に移動していたとすると…とね」
カイルが右手に持った湯飲みが、テーブルの上に音を立てて落ちた。
「イリスが危ない!?」
◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇──◇
「!」
それに先に気付いたのは、泣き止んで間もないリアナだった。
「どうし…!」
いきなり震え出したリアナにどうしたのか訊ねようとして初めて、イリスは周囲に人の気配を感じた。
「(私とした事が…相当疲れているわね)」
少女の足では、そう遠くまでは逃げられない。ならば、そんな所で大声をあげて泣いているとどうなるか。
「…っ!」
リアナを背中にかばう様にして立ち、イリスは腰の長剣を抜き放った。
「リアナ。私から離れないでね」
リアナは、無言でイリスの服を掴んで震えている。
正面の雑草が、音を立ててかき分けられた。
「…ほぉ。女と、さっき逃げたガキか」
「こりゃ、二人とも高く売れるぜ」
「おいおい、売っちまうのか?勿体ねぇなぁ」
いかにも野盗と言った感じを受ける取り巻き二人に囲まれ、頭目らしき男が現れる。
頭目の男は、周囲で騒ぎ立てる男たちを腕を上げて黙らせ、イリスを真っ直ぐ見据えた。
「大人しく投降しろ。そうすれば命は助けてやる」
「そう言われて、はいそうですか…なんて言うとでも?」
軽く返しながら、イリスは内心焦りを感じていた。周囲から感じられる盗賊たちの実力は、はっきり言ってカイルの二十分の一にも満たない。だが。
「(この頭目…出来る)」
本能で感じ取り、イリスが一歩あとずさる。
「仕方がない。出来る事ならば、俺は女子供を切りたくは無いのだが…」
頭目は心底残念そうな声を出し、右手を軽く上げた。
「殺れ」
その腕が振り下ろされると同時に、周囲に隠れた野盗が一斉に襲いかかる。
「っ!」
左右から切りかかってきた剣を回避して、右側の男の足を刺し貫いた。
ひるんだ右方にリアナを抱えて飛び、手近に居た男を切り捨てる。
続いて来た投げナイフを何とかはじき、リアナは街道に向かって走り出した。
「(まずは包囲網を抜けないと…っ!)」
雑草の森を走り抜け、街道に一歩踏み出したイリスの目の前に、頭目の男が映った。
「やはり、只者ではないな。怪我を負い、少女を一人抱えて、なおも雑草の中での包囲を抜け出るとはな」
「く…!」
頭目の剣は、正確にイリスの左足首に突き刺さっている。
「だが、ここまでだ」
頭目の声で、茂みの中に隠れていた盗賊たちがイリスを囲み直す。
「(こんな所で…!)」
イリスは左足を動かそうとするが、頭目の剣は抜く事を許してはくれない様である。
盗賊がそれぞれの武器を構える。
「(せめて、この子だけでもなんとか…?)」
左腕に抱えたままのリアナに目を向けて、イリスの視線に何かが飛び込んできた。
「(…雪? うそ、今はそんな季節じゃ…!)」
イリスは何かに気づいた様に上空を振り仰ぐ。その視線を受けて、頭目の視界も宙に向き。
「な…なんだ、これは」
頭目の呟きをかき消す様に、唐突に出現した小さな氷柱の嵐が、イリスとリアナだけを回避して荒れ狂う。
「“凍気放”。冷気を周囲に捲き起こし、強い物ではこうして氷柱を降らす事も出来る」
動かなくなった盗賊たちが倒れ伏す向こうで、構えを解いたロウガが低い声で呟く。
「くっ…異能者か!?」
辛うじて息があった頭目は、今更ながらに背後に迫った気配に気付く。
「遅いぜ!オッサン!!」
背後に回り込んでいたカイルの峰打ちが、頭目の脊髄を綺麗に捉えた。
「つぅっ!」
頭目の腕から力が抜け、イリスは痛みの為にしゃがみ込んだ。
「イリス!大丈夫か?」
慌てて駆け寄って来たカイルは、迷うことなく頭目の握っていた剣を抜き捨てた。
「いっ……たいわね!いきなり抜かないでよ!!」
「わ、ご…ごめん。すっごく痛そうだったから…」
涙目で怒鳴られ、カイルはそのまま後ろに倒れそうになる。
「まったく、あんたって人は…っ!」
立ちあがろうとしたイリスの傷口に、リアナが黙って両手を押し当てた。
「リア…ナ?」
疑問を浮かべるイリスを前に、リアナの両手に暖かな光が集まってくる。
その光は、イリスのそれとは比較にならない程に強い生命を感じさせる。
「傷…痛そうだったから」
リアナが手を退けると、既に左足の傷の大半が塞がっていた。
「おぉ〜!ロウガと言いお前と言い、すっごい力持ってるんだなぁ〜!!」
カイルは何の疑問も無く、ロウガとリアナの使って見せた能力を誉めていた。
その反応に、ロウガやリアナもそうだがイリスが一番驚きを感じていた。
「(この力…恐いとか思わないのかしら?)」
そう思った途端、もっと大切な事に気が付いた。
「…ちょっと待って。どうして、ここにカイルが?」
やっとそれに思い至ったイリスが呟くと、ロウガが彼女の肩に触れた。
「私が、盗賊が南北の街道に向かったかもしれないと言った途端、カイルは君の事を心配して飛び出したのだよ」
ロウガの言葉が浸透するにつれて、イリスの表情がうろたえ出した。
「だ…だって、私はっ」
「僕たちは仲間だろ?ピンチになった時は、いつだって駆けつけるよ!」
その言葉を遮って、カイルが笑顔で言った。
「でも…私は、あんなに冷たい事を言ったのに…」
イリスがまだ言葉を続けようとしたが、リアナが彼女の腰にしがみついた。
「このおにいさんは、イリスさんの事が心配だったんだよ。わたしには、何となくだけど解るから…」
「…あ……ありがとう、カイル」
嬉し涙を浮かべそうになっているイリスに、カイルが手を差し出す。
「さあ。行こう、イリス」
「…ええ!」
イリスは涙を拭い、カイルの手を取って立ちあがった。
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