PHASE_0 「始動」

  その年、2263年は、例年より気候も穏やかで、農作物の収穫量や、海産物の漁獲量は近年まれに見るほどなのだそうだ。
  僕自身は、そういう事には詳しくないから、何でかは判らないけれど。
  ともかく、僕が白銀の翼と出会ってから、三年の月日が流れていた。
  今ではすっかり馴染みの場所と化した地下ドックでは、艤装ぎそう作業が最終段階に入っていた。
  艤装作業というのは……ようするに、発進する為に必要な工事、という所かな。
  すぐ終わる、もう終わると言われ続けて、早三年。僕は去年、高校を卒業してしまった。
  それでも、ようやく目処めどが立ったらしい。
  これが終わったら、後は必要なものを搬入すれば、いよいよ旅立つことが出来るんだ!

  天空を駆け巡る為のものらしい白銀の翼、その名は、G・サジタリアスと言うらしい。
  何でも、先輩達と東条さんの間で一悶着ひともんちゃくあって、結果そうなったらしい。
  あ、そうそう。東条さんというのは、以前名前が出てきたよね。
  G・サジタリアスが眠る、地下ドック。
  その地上入り口の周辺一帯を所有する、大富豪さんなんだ。
  何で先輩がそんな人と知り合いなのか、非常に不思議だったんで、ある時 僕は聞いてみた事がある。
  その時は、丁度先輩の彼女、原田さんや、親友の志賀さんもいて、興味を引かれたらしく、一緒になって促してくれた。
  普段は意外なほど自分の事を ひけらかさない先輩も、この時ばかりは、仕方なしという風に頷いてくれた。
  僕達は、もうほとんど出航準備の終わった艦内を移動して、人の居ない、静まり返った第一艦橋かんきょうへと足を踏み入れた。
  最低限の照明をけ、四人は思い思いの席へ腰を下ろした。
  先輩は順に、自分の前にある機器類に、動かす訳でなく触れてゆく。
  そうしながら、このフネと出会った日の事を語り始めた。

  10年以上前となる、その日――
  遊んでいる内に、見知らぬ屋敷の敷地に迷い込んでしまった優輝は、そこで見慣れない鉄扉を見つける。
  それは、当時はあまり見かける事のなかった、エレベーターの扉だった。
  好奇心に負け、ボタンを押す。
  エレベーターは、まるで優輝をいざなうかに、その扉を開いていった。
  乗り込み、勘で別のボタンを押す。
  扉が閉まり、続いて小さな部屋は、急速に下降していった。
  長い、長い下降が終わり、ゆっくりと、扉は開いた。
  最低限の数の照明しかない薄暗がりの中、慣れ始めた目に映ったのは、広大な空間と、その中央に存在する威容であった。
  この時、艤装作業が始まったばかりであったそれは、鉄骨の足場に埋もれている、といった感があった。
  「うわあ……」
  やがて、天駆ける事となる白銀の翼を、見上げる。
  「誰だ?」
  「わっ!?」
  唐突とうとつに掛けられた声は、余りに近くから聞こえた。
  「君は? どうやってここに?」
  優輝の左手奥といった暗がりから、初老の男が現れた。……東条である。
  「あ、あの、ごめんなさい! 勝手に入って――」
  「いや、それは構わんよ。……!」
  優輝の前にかがみ込み、目線を合わせた東条は、その顔を見て、怪訝けげんな表情を浮かべた。
  「君は――君、名は、名前は何と言うんだい?」
  「え? せきぐち、ゆうき、です」
  「違う? いや、しかし、その名は……」
  誰何すいかしたかと思えば、優輝をそっちのけで、何事か一人ごちる東条。
  「あ、あの?」
  「ん? どうしたね?」
  「えっと、あの、ぼく……」
  ばつが悪そうに、小さい身体を更に小さくしている優輝に、東条は笑顔を向けた。
  「君は、別に悪い事をした訳ではない。また、来たければ、いつでも来なさい。ただし、今度からは私に一声掛けてから、な?」
  わしわしっ、と優輝の頭をでる東条。
  「ふわ……。はい!」
  「うむ、良い子だ。さ、今日はもう、帰りなさい」
  「はーい!」
  「ああ、待ちたまえ。地上うえまで、一緒に行こう」
  ドック内の照明が、非常灯を除き、落とされる。
  そして、二人を乗せたエレベーターがその扉を閉じることで、白銀の翼は再び、静かに闇に没した。
  かの翼が羽ばたくには、今少し、時を要する。
  しかし、優輝と東条は、邂逅かいこうしてしまった。
  ……それは、約束された出会いであった。

  この後、志賀さん、原田さん、そして僕と、次々に増える見学者に、東条さんが心中密かに苦笑いを絶やさなかったというのは、後になって知ったことだ。

  それから数日が経過した。
  旅に出る予定の人たちは全て乗り込みを終え、地下ドック内では、白銀に輝く巨大な船体が、覚醒を 誇示こじするかにうなりを上げていた。
  ついに、この日が来たんだ!
  僕はと言えば、時間ぎりぎりではあったけれど、船体をガントリーから眺めていた。
  一度飛び立ってしまえば、そうそう外から眺める機会は無いと思っていたから。
  なんたって“我が往くは星の大海”だもんね。
  500メートルはあろうかという巨体を収めてなお、かなりの余裕を持つドックの、その空間全体を、 轟音ごうおんが満たしていた。
  耳をふさいでも、すさまじい音響おんきょう振動しんどうで、平衡感覚へいこうかんかくがやられそうな気がする程だ。
  音源の一つは、船の駆動音くどうおん
  もう一つは、ドックの両舷りょうげんから流れ込み始めた、大量の海水の音だった。
  ドックの発電システムも、普段はうるさく感じていたけれど、この破壊的な騒音に比べれば鈴虫の音色ぐらいか、もっと小さいかもと思える。
  おっと、さすがに いい加減船内に入らなきゃ。
  こんな所でドザエモンなんて、冗談にもならないよ。
  僕は慌てて船へと駆け込んだ。
  艦橋へ向かう道すがら、窓から見える限りでも、ゆっくりと、だが確実に、流入する海水がドックを満たしていく。
  やがて、僕が艦橋に着く頃を見計らうかに、ドック内の空間が全て水によって満たされたことを告げるアラームが鳴る。
  「ガントリーロック、解除」
  先輩の操作で、船の両側に在って、支持と、船内外の行き来を補助していた巨大なフロア、 ガントリーが、壁面へ収納されていく。
  「サブエンジン、点火。出力上がります」
  その完了を待たずに、船を載せている支持台座ごと、ゆっくりと、前方の水路へ移動を始める。
  水路壁面では、船を先導するように照明が連続して灯っていき、それが行き着くことで、何重にも設置された強固そうな隔壁かくへきが、一枚、また一枚と開いてゆく。
  船は、なおも薄暗い地下水路を進んで行き……。
  そして、最後の隔壁が開き、暗く、深い海底が現れた。
  「サブエンジン、出力一杯。台座支持アーム、格納」
  船底台座の、船を支持していたアームの格納と同時に、船尾左右にある補助のエンジン・ユニットが、船体を押し出す。
  ぽうっ、と、何か光るものが艦橋の前を横切っていった。
  そのまま、押し出された勢いで前進を続ける。
  「メインエンジンに移行、点火します」
  船尾メイン・エンジンに光が宿やどり、力強く、船は浮上してゆく――筈だった。
  ガクンッ!
  大きく船が揺れ、浮上速度が一気に落ちた。
  「うわあっ!?」
  うっかり腰を浮かし気味だった僕は、ものの見事に座席から放り出され、床を転がってしまった。
  ゴンッ
  「〜〜! って、あ、アレ?」
  にぶい音がして、思い切り頭をぶつけた……のは、僕じゃなかった。
  「!? 上部スラスター作動! 緊急制動が掛かったようです!」
  先輩が、状況を報告してくれるものの、何が何だか判る訳が無い。
  「あっつつつ……おい優輝、一体どうしたんだよ? しこたま頭ぶつけちまったじゃねーか」
  どうやら鈍い音の主は、志賀さんだったらしい。後頭部をさすりながら、先輩に悪態をついている。
  「先輩……?」
  だけど、返事が無い。艦橋の外、船の正面を見据みすえて、固まってしまったようだ。
  「な、何じゃ、アレは……」
  それまで先輩に任せっきりで、特別言葉を発することもなくくつろいでいた東条さんが、同じく艦橋の外を見て呆然としていた。
  ここまで来て、僕はようやく、事態が ただならぬものだと感じ始めた。
  振り返った先には窓があるのだが、今は耐圧シャッターが下りていた。
  そしてそこに、本来見えるはずの無い船外の様子を、画像処理して投影していた。
  「鯨の群れ……?」
  誰かがそう呟いた。
  確かに、映像では距離感がつかめないから、この時点では そう錯覚さっかくしたとしても、仕方なかったろう。
  だけど、その巨鯨きょげい達からは、何か違和感のようなものを感じた。
  「……!? 違う!? 違いますよ! あれは――」
  ほとんど直感に近いもので、全く根拠こんきょなど無かったけれど、僕は口走っていた。
  他の人達の疑問が僕に向けられる前に、“巨鯨達からの通信”は来た。
  「! 公用帯域で回線のリンクを指示しているようですが……」
  先輩が気付き、背後の東条さんを振り仰ぐ。
  「……? つないでくれい」
  わずかに躊躇ちゅうちょして後、東条さんは回線を開くように言った。
  「了解、回線繋ぎます」
  ザ、ガガ、ガ……
  「っ!?」
  不安をあおるように、突然艦橋内に雑音が響き渡る。
  ゆっくりと収まるにつれて、それは、誰かが喋っているらしいと判った。
  『……の……に……』
  上手く繋がらないのか、はっきりと意味が通じる程には聞き取れない。
  それでも、先輩のチューニングで、少しずつ鮮明になっていった。
  『……方の所属不明艦に告げるッ! こちらは統合軍第一艦隊である!』
  「……!! 統合軍ッ!? 軍が何故……ワシらに何の用があると言うんじゃ!?」
  東条さんの言葉が終わる直前、映像も繋がった。
  そこに映ったのは、濃いひげをたくわえた、典型的なアラブ系の男だった。
  『チッ、手間ァ取らせやがって……やっと繋がったかッ。おい! 俺は第一艦隊司令、ギルボガルハ・バウルクムだ! そこのブサイクな船ッ! そぉう、テメェらの事よ。テメェらにゃあ、不穏当なコトを しでかしそうだってぇ嫌疑が掛かってんだ。大人しく臨検させろや』
  男は悪態をつきつつ、そう名乗った。
  「なっ……!」
  『おお? やるかぁ? いいんだぜぇ? 端微塵ぱみじんに しちまえば、後はどうとでも書けるんだからなぁ?』
  余りの もの言いに反射的に立ち上がった志賀さんを見、ギルボガルハと名乗った男は、嫌な笑いを浮かべながら挑発してきた。
  「何て……」
  それ以上、咄嗟とっさには言葉が見つからなかった。
  『司令! 我々にはそのような権限は――ぐッ!』
  『うるせぇよ』
  気付くと、画面の向こうでは、たしなめようとした士官らしき人物が、ギルボガルハに首を掴まれ、片腕で吊り上げられていた。
  その人だって、体型から見ても軽くは無いはずなのに、あっさりとこちらの画面の視界から放り出され、消えてしまった。
  「凄い……何て膂力りょりょくなんだ!?」
  『さァ、どうするッ!?』
  「我々には拒否する権利がある筈じゃ!」
  「そうだぜ、一方的な臨検なんぞ、される覚えはねえよ」
  東条さんが反発した事を契機に、皆が口々に異議を唱える。
  『知らねぇぇなァ』
  だけど、ギルボガルハの一言の方が、威力があったらしい。
  一瞬にして、場が静まる。
  『俺はなぁ、戦いてぇだけなんだよォ。手前等テメエらが歯向かってくれりゃぁ、それで良し。そうでなくても……クックック』
  最初は面倒そうに、最後はどうにも可笑しくてならないといった風で、ギルボガルハは言った。
  (……ダメだ。アイツは、臨検に応じても応じなくても、僕等と戦おうとするに違いないよ)
  背筋に、冷たいものが走る。
  今は、画面のこちら側も、向こう側も、ざわめきに包まれている。
  『待ちたまえ――』
  と、双方のざわめきに割って入るかに、第二の通信がその場を支配した。


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