PHASE_1 「汚名」
『待ちたまえ――』
双方のざわめきを割って入るかに、第二の通信がその場を支配した。
『誰だあッ!?』
やはりと言うべきか、当然と言うべきか、真っ先に噛み付いたのは、ギルボガルハだった。
(と、いう事は……こちらだけに聞こえている訳じゃないんだ)
僕が、ちょっと抜けた感想を覚えている間に、その人物の映像が映し出され始めていた。
画面には、ブロンド髪にシルバーの入り混じった、だが年齢を感じさせない壮年の男性が映し出された。
「……リチャード? おぬしは、リチャードではないか!?」
次に反応したのは、意外にも東条さんだった。
確かに、年は近そうだけど。
リチャードと呼ばれた画面の人物は、落ち着き払っているように見えた。
そして、次の一言が、全てを明確に物語った。
『久しいな、東条』
『ぬむうう……。ジジイ、何の用だあッ!?』
しかし、リチャード氏の言葉を遮るかに、ギルボガルハのダミ声が響いた。
二の句を継ごうとしていたらしい氏は、一旦(口を閉じ、一呼吸置いて後、再び口を開いた。
『ギルボガルハ君、君は一体、そこで何をしているのかね?』
『知れたことよッ! 不審船の調査だッ!』
『私には、そうは見えないが。ともかく、軍を引き給え。彼等の身柄は、私の保証する所…臨検(など必要でない!』
強い語気が、ギルボガルハを打ちのめしたかに見えた。
けれど、苦虫は、一瞬で噛み潰されてしまった。
さも、何かに思い当たったぞ、というギルボガルハの顔が、嫌らしい笑みを浮かべる。
『ジジイ、いいんだな? そいつぁ職権乱用ってヤツだろうが? ああん?』
可笑しくて たまらないといった風で、再び強気になるギルボガルハ。
「り、リチャード、それはイカンぞ。そんな事をすれば、おぬしは――」
『かまわんよ、東条。君は、君の“夢”に向かって邁進(すればいいのだ』
東条さんが言葉を探す一瞬の間を読んだかに、リチャード氏が割り込んだ。
『させるかよォ!! おいッ! AMBを射出しろッ!!』
怪しい雲行きを察したか、ギルボガルハは遂に強硬手段に出る構えを見せた。
『ギルボガルハっ!』
『けっ、そこからじゃあ、吠えるが せいぜいだな、ジジイ?』
ギルボガルハが せせら笑う。
「先輩、AMBっていうのは、何なんです?」
G・サジタリアスこそが話の争点の筈だったが、会話を聞く限りでは僕が、僕等が蚊帳(の外に置かれたと思い込んでも、仕方なかっただろう。
「……アンチ・マター・ボム……反物質爆雷、だよ」
ごくり、という、先輩が唾を飲み込んだ音が、僕にも聞こえた気がした。
「どうするんだい、東条さん?」
それは、志賀さんだった。
「ど、どうするとは、どういうことじゃ?」
妙に落ち着き払った志賀さんの問いに、思考の追いついていないらしい東条さんが、そっくり聞き返す。
「どうもこうもないだろ? 大人しく捕まるのか、振り切るのか、さ」
「なっ」
余りに直球(な物言いに、その場が絶句した。
「どうなんだ、優輝? G・サジタリアス(なら、行けるんだろう?」
次いで、先輩を振り返る。
「か、可能だと、思う」
僅(かに つんのめりながらも、先輩が答える。
「行きましょう!!」
強く、後押しをするように僕は叫んだ。
「……! 強行突破するのじゃ!」
「りょ、了解!」
意を決した東条さんの号令に、先輩の手が制御卓(を流れる。
息を吹き返したG・サジタリアスが、巨鯨の包囲を抜かんと始動する。
『させねぇと言って――!』
ギルボガルハが吼(えかけるが、それをも圧する大音声(が、僕等の鼓膜を打った。
『統合軍全将兵に告ぐッ! 大統領権限を持って、その場にての一切の戦闘行動を禁ずる!!』
「優輝!」
「ああ!」
G・サジタリアスが、再び力強く上昇を開始した。
窓外の巨鯨達が、見る間に小さくなっていき――
「うっ?」
幾(ばくかの軽い揺れの後、開いてゆく耐圧シャッターの向こうに見たのは、眩(しい朝の光だった。
それは、海原を割り、遂(にG・サジタリアスが、その威容(を白日(の下に現した瞬間だった――!
*
今、G・サジタリアスは、台湾岩礁とフィリピン諸島の間に広がるルソン海峡を東に、太平洋へ向けて航行していた。
陽光を受けてキラキラと輝く水面に目をやると、イルカだろうか、フネに並んで泳ぐ姿が、小さく見えた。
「眩しいのぅ」
「俺達の旅立ちを、祝しているみたいだな」
東条さんや志賀さんが、陽の明るさに釣られるように口にしているのとは好対照に、先輩は脇目も振らずに、むしろ暗くさえ見える顔で、コンソールを操作していた。
「先輩?」
「のん気だねぇ……本当に大変なのは、これからなんだけどな〜」
僕の呼び掛けで我に返ったかに顔を上げた先輩は、二人を見遣(って、苦笑いを浮かべながら一人ごちた。
今一度、コンソールに何事か、一頻(り操作を施(した先輩は、艦内放送のスイッチを入れ、マイクを手に立ち上がった。
「あー、テス、テス。……本艦は これより、大気圏離脱機動に入ります。危険ですので、手近の座席に着席、ベルト着用を厳(に徹底してください。繰り返します、5分後に大気圏離脱機動に入ります。危険ですので、手近の座席に着席、ベルトを着用してください」
「いよいよじゃの!」
「いよいよだな!」
「ぷっ」
語尾こそ違えど、見事にハモった上に、ガッツポーズまで同時に決めた二人に、僕は思わず吹き出してしまった。
「はいはい。二人とも、席について、ベルトを締めなきゃだめでしょ?」
既にベルトを付ける動作に入りながら、原田さんが たしなめる。
「う、うむ」
気圧(されてどうするんですか、東条さん。
そして、5分間は、あっという間に過ぎていった。
「……5、4、3、2、1。プログラム・スタート」
ズゴウッ
一度だけ大きく揺れて、それが収まった時には、航空機独特の浮揚(感を感じていた。
僕の座席から見えるモニタには、巨大な水柱を立てている、艦後方の視界が映し出されていた。
水面(を抉(るG・サジタリアスは、重力のクビキより解き放たれんと、もがいているようにも見えた。
モニタに映る視界を切り替えていくと、武夷半島が遥(かに霞(んでいく光景を見ることが出来た。
こう言ったら可笑(しいかもしれないけれど、その時僕は、郷愁(に似た感情を抱いていたのかも知れない。
僅(かずつ、しかし確実に、G・サジタリアスは高度を上げてゆく。
地球の夜の面へと突入する頃、G・サジタリアスは、大気圏を離脱しようとしていた。
二つの煌々(たる月に照らされ、青白く輝いた白銀の翼は、今まさに、無限の大海原へと飛び立ったんだ!
*
「皆さん、お疲れ様でした。本艦は大気圏離脱を完了、現在月軌道まで数十分の位置に進出しました。ベルトは外しても構いませんが、無重力下での活動経験の無い方は、充分注意して下さい」
艦内放送で、そう締め括(ると、先輩はひとつ、伸びをして席を立った。
……いや、その表現は正確ではないかも知れない。
何せ、ここはもう重力の影響を受けない空間なのだから。
ふわり、と浮かび上がった先輩は、一旦天井に手を着いて止まり、原田さんと数言やりとりをした後、そこから自分を押し出して、出入り口へ降り立った。
その動きには全く無駄が無く、まるで宇宙生活のベテランと思わせた。
或(いはここで、ひとつの疑念が生じるべきだったのかも知れない。
けれど、その時の僕に、そんな余裕があろう筈も無かった。
初めての無重力に、文字通り、僕自身が“舞い上がって”いたのだから。
ベルトを外し、そろり、立ち上がった……つもりだった。
「う、わ?」
いろいろ知識を得てはいたが、実際の状況を前にして、そんなものは何の役にも立たないと、よく判った。
とにかく、自分の行きたい方へ行く、たったそれだけの事が、とてつもなく難しい。
「あっ……おっ? わっ!」
情けない格好で、僕は床に這(いつくばってしまっていた。
とは言っても、それは決して僕に限った話ではなく。
「おわおわおわ!」
「いててて!」
見回すまでもなく、先輩が出て行った艦橋では、東条さんや志賀さんが、下手な踊りを踊っていた。
僕等が最低限の無重力遊泳をこなすまでに、それから数時間を要することになった。
*
あちこちに打ち身を作りはしたけれど、どうにか行きたい方向へ動く術(を手にした僕は、ようやく通路へと出ることが出来た。
ここまで来れば、そう難しいことはない。
通路壁面には、つかまれば運んでくれる、リフトグリップというものが備えてあるからだ。
ほっと胸を撫(で下ろし、つかまって、動き出す。
そこまでは順調だった。
「あ」
“それ”に思い至(る前に、不安が過(ぎった。コトバが後から来るというのは、よくある話だ。
これは、どうやって止まるんだろう?
ここは宇宙空間で、当たり前だが重力の影響下ではない。
と言う事は、すんなり慣性が働くということ。
もし、このグリップが通路の終端でイキナリ止まったら……。
僕は投げ出される如く、その向こうへ飛んでいってしまう訳で。
あれこれ考えている内に、通路の終わりが来て、僕は思わずグリップから手を離してしまっていた。
「わっ」
べちゃっ、と、僕は壁に張り付く。
その後から、次第に速度を落としたグリップが到着した。
「うう……」
グリップの稼動速度はせいぜい時速3キロほどで、人の歩みより遅いくらいだから、実際、特に問題は無かったんだ。
しかも、最後は減速するという、ごく自然な所作をするらしかった。
どうやら、考えすぎて失敗するという、好例を演じてしまったらしい。
がっくり、だね。
リフトグリップを何本か乗り継いで、艦内を見て回っていた僕は、稼動を始めた擬似重力ブロックへとたどり着いた。
不思議なもので、急に重力が戻ると、逆にヘンな感じがした。
説明によれば、巨大なドラム状の空間が回転することによって、擬似的に重力を発生させているらしい。
まるで、僕達が洗濯物になった気分だ。
散歩しながら、暫く、重力に引かれる感覚に浸っていると、その先に、先輩の後ろ姿を見つけた。
「ん? 御堂(。どうした?」
声を掛けようとしたが、それより早く、先輩の口から聞きなれない名前が紡ぎ出された。
僕の位置からは物陰に居たらしい人物が、僕の視界に入って来る。
「ユウキ。いや、少々疲れただけだ、よ」
僕等と同じか、それより少し上といった歳の青年は、ため息をついてそう言った。
ただ、何かしら、歳に似合わない雰囲気を持っているとも思えた。
「そうか。そりゃ済まなかったな」
苦笑しつつも、先輩は楽しそうだった。
見知らぬ人との会話に割り込むのもどうかと、踵(を返し、その場を後にした。
その時は、先輩に、僕の知らない知り合いがいることなど、さして不思議とは思わなかった。
むしろそんなことは、ごく当然と受け止めていたんだ。