PHASE_2 「宇宙空間」
過去というものは曖昧模糊(として、「本当にそれはあった事なのだろうか?」と、疑う事の方が容易(いものでありながら、人はそれに縋(らずには生きてはいけないのである。
*
以前、何かで読んだ言葉だ。
その時は、そんな事ある筈は無いと、憤慨(した覚えがある。
だけど、“過去”が増えて行くに従い、確かに僕等は……。
*
「佐々木くーん」
「ん?」
重力ブロックを出ようとした僕は、自分を呼ぶ声に足を止めた。
向こうから、女の子が駆け寄ってくる。
「えっ? ……し、白長(滝(さん!?」
近付いてきた女の子を見て、僕は心底驚いてしまった。
「まさか、君がこのフネに乗ってたなんて……」
重力ブロックの一区画に設けられた自然ゾーンで、僕等はベンチに腰掛けていた。
彼女は、白長滝咲葉(さん。
家は――ヤマト・コミュニティでは、一番有名なんじゃないかな?
両親が二人とも、高名な音楽家だからね。
高校では、隣のクラスで保健委員をやってた。
そのせいかどうか、卒業後は、ヤマト・コミュニティで一番大きな病院に勤めたって聞いてたんだけど……。
「驚いたよ。白長滝さんが、まさかこのフネに乗っていたなんてね」
「え……あ、うん」
返ってきたのは、何やら歯切れの悪い返事。
どうやら、挨拶的会話は不要のようだと悟った僕は、さっさと本題を持ち出すことにした。
「それで、何か用?」
「あ、あの、その……」
「うん?」
少し間があって――
「な、何でも、ないです」
「…………。いや、呼び止めておいて それは無いでしょ」
腰くだけになりながらも、もっともと思われるツッコミを入れてみる。
「あっ」
何、と聞く間も無かった。
「アザになってる」
ぐい、と、思わぬ強さで腕を引かれる。
無重力に慣れるまでに拵(えた、打ち身の一つだ。
「ああ。大した事はないよ」
苦笑いで かわそうとしたけれど、それはさせて貰えなかった。
「だ、だめだよ。ちゃんと治療しなきゃ」
二の句を継ごうとする僕を遮(るかに、白長滝さんは僕の腕を引いて、医務室に着くまで離してくれなかった。
もちろん、治療中も有無を言わせぬ、というより、医務室中を忙しなく行き来する白長滝さんに、声を掛けるタイミングを失ったままだった、というのが正しいかも知れない。
それから、他の打ち身も次々と発見されてしまい、大袈裟な治療を施されて、僕は かなり疲労しつつ、医務室を後にした。
白長滝さんと一緒に重力ブロックへ戻ってきた僕は、そこでまた先輩を見かけることになる。
今度は志賀さんや原田さんも一緒だ。
逆に、さっき居た御堂という人は見当たらなかった。
先輩達は、何やら大きなものを運んでいる。
「先輩?」
呼びかけながら手伝おうと近づいた僕は、それが、かなりグレードの高そうな、ピアノであると知る。
「わあ……」
後ろから付いてきた白長滝さんから、感嘆の声が出る。
「やあ、レイジ、いい所に来たね。ちょっと手伝ってもらえないかな。最初から所定の位置に据え付けておけば良かったんだけど、そこまでの時間は無かったからね。かなり手間を食ってるんだ」
僕を見つけた先輩は、額の汗を拭う仕草だけをして、大仰な身振りでピアノをペタペタ叩いて、さも大変だとアピールして見せた。
「はいはい、そのつもりじゃなきゃ来ませんよ」
苦笑いを浮かべつつ、僕は言う。
「あっ、私も手伝います」
「いいのいいの、こういうのは男の子に任せれば」
白長滝さんも申し出るが、原田さんが笑って遮(った。
「まあ、そうだな。大した重さでもないしな、優輝?」
にやりと笑って、志賀さんが横目で先輩を見遣った。
「うっ」
ともあれ、僕ら3人+見学&応援係(?)2人は、ピアノを想定位置まで移動して、据え付けるまでを完了した。
「けど、また随分宇宙に似つかわしくないものを持ち込んだものですね」
改めてピアノを眺め、僕は感想を漏らした。
「いやいや、やっぱりこういうものも必要だよ。宇宙空間には、地上では感じることのないストレスもあるしね」
先輩が、まるで、宇宙生活の長い人かのような発言をする。
「へぇ」
「ところで優輝、こいつを誰が弾くんだ?」
非常に ごもっともな意見が、志賀さんの口から放たれる。
だけど、先輩は固まったまま、答えは返ってこなかった。
「……いないんだな」
ジト目で先輩を見てから、志賀さんは やれやれという仕草をした。
「はは、ははは」
苦笑いで誤魔化そうとした先輩を、その場の全員が呆れた目で見ていたその時。
「あの、私、少し弾けます……」
一斉に、その声の主――まあ白長滝さんな わけだけれど――に、視線が集中する。
「ああっ、そう言えば……学園祭で弾いてたよね」
すっかり忘れていたが、彼女は両親が共に音楽家だというのは もちろんのこと、自身も相当な技量の持ち主だった。
それまで特に知ることも無かった彼女を、先刻、一目見て気が付いたのも、あの一件があった故だ。
「うん」
視線が集まったからか、それとも僕が彼女のそういう部分を知っていたからか。
恥ずかしそうに、白長滝さんは頷(いた。
「へえ、あの時弾いてたの、あなただったんだ」
そこに嫌味は無い、と思うのは、ある意味 偏見だったろうか。
原田さんの言葉に気圧(された訳でもないのだろうけど、白長滝さんは萎縮(しているように見えた。
「いや、でも良かったよ。苦労して運び込んだのが、危うく無駄になるところだったからね。どうだろう、これは好きに使ってくれていいから、時々弾いてもらえないかな?」
やれ助かったという風に、先輩は白長滝さんに、そう勧めた。
どうでもいい事だけど、喋り出すと、先輩だけ妙に台詞が長いような気がした。(-´_`-)
「は、はい。私で良ければ……」
「うんうん、これで一件落着、っと。それじゃあ そろそろ、僕は寝ようかな」
何だかなあ、と半ば呆れながら、僕は そそくさと去っていく先輩を見送った。
「あ、もうこんな時間なんだ。それじゃあ、おやすみなさい……レイジくん」
「ああ。おやすみ、白長滝さん」
その時の、ちょっとした変化に気が付いたのは、後になってからだ。
それが礼儀と弁(える僕は、その背が見えなくなるまで見送る。
流れで場が解散になり、僕が一人、そこに残された。
もちろん、一人でここにいても仕方がないので、踵(を返して、部屋へ戻ることにしたのだけれど。
(そういえば、白長滝さんは、僕に何か用事があったんじゃないのかな?)
そう思い出したのは、日付が変わってからの事だった。
*
「ん?」
角を曲がってすぐ。
通路の向こうで、何かが動いた気がして、僕は目を凝らす。
「どうした?」
一緒に格納庫エリアへ向かう為、同行していた志賀さんが、気が付いて止まった。
「いえ。気のせいかな? 誰かが左側の扉へ入って行った気がして」
「そうか? 気が付かなかったが」
「人にしては小さかったようですし、気のせいかも」
「!?」
その僕等の反応とは対照的に、先輩はサッと顔色を変え、僕等を押しのけて前方左の扉へ取り付いた。
何事かと いぶかしむ間も無く、慌てた風で扉を開けた先輩は、そこから赤ん坊を抱えて出て来た。
「何だ? どうした優輝?」
先輩の所まで移動した僕等は、問題の扉を覗いて、ぎょっとした。
そう、そこは、エアロック。
いわゆる船の内外を出入りする為の出入り口、なのだ。
そこには扉の開閉制御盤があり、子供や、まして赤子の手の届く高さには無い。
とはいえ、当然と言えば当然だが、現在のG・サジタリアスは、宇宙空間を進んでいる。
そしてここは、重力ブロックではない……。
お判りいただけたろうか?
皆が浮かんでいる状態では、床も天井も壁も無いのである。
すべてが床であり、天井であり、壁だとも言えるのでは、いかに高所に据え付けようとも、意味を成さないのだ。
特に赤子というものは、好奇心の塊。
目に付いたものは弄ってみたくなる道理なのだから。
「冗談にならないな」
真剣な表情で、志賀さんがエアロック周りを見る。
「ああ。少し認識が甘かったかも知れない。構造を改良しないといけないね」
「ですね……」
もし、発見が遅れていたら、或(いは。
そう思うと、背中に冷たい物が走るのだった。
『今更とは思いますが、宇宙空間について正しい知識を身に付けるために、講習を開きたいと思います。基本的に全員参加をお願いします。場所は――』
数時間後、真空というものに対する予備知識を持って貰う為の講習会が開かれた。
さらに、それから暫(くして、エアロックの開放方法が変更されたことは、言うまでも無かった。
*
数日後、格納庫――
先日は思わぬアクシデントで御破算になってしまったが、今日は そういったことも無く、たどり着けた。
未だに未知の部分の多いG・サジタリアスであったが、発見からここまでの航海の間に判ったこともまた、多い。
その一つに、G・サジタリアスは航宙戦闘艦でありながら、艦載(機を搭載可能な、事実上“戦闘母艦”とでも呼ぶべき存在だということだった。
今はまだ、艦載機こそないものの、扉をくぐり進入したそこには、全高30メートルはあろうかという、巨大な鋼鉄の人型が佇(んでいた。
「うおっ!? すっげぇ……何なんだ、コレ?」
志賀さんが、その全身を見渡して、感嘆の声を上げる。
「こいつはな、俺の古い友人が設計した、究極の人型機動メカさ」
「え?」
先輩にしてみれば、ぽつりと呟いたに過ぎなかったのだろう。
空間の広がりに吸い込まれたのか、その声は少しばかり聞き取り難かったが、確かにそう聞こえた。
「あ、いや、なんでもないさ」
(古き友、か。ようやく、完成したぜ)
「――!?」
僕は我が目……ではなく、耳を疑った。
先輩は、腕組みをして人型メカを見上げている。
だが今、確かに、その口は動いていなかった。
にも関わらず、声が聞こえたのだから、自分がどうかしたと考えるのも無理はない事だ。
とは言え、こちらの動揺など伝わるはずもなく、先輩は視線を戻しながら誰に言うとなく呟いた。
「さて。そろそろこいつの、テスト飛行をしなきゃならんのだがな」
「テスト飛行? ですか?」
「ああ。当たり前だが、こいつはまだ、一度も動かしてはいない。起動試験は済んでるがな。だから、いわゆる熱真空試験というのをやらなきゃならない」
「へえ」
「地上でやるからそう呼ぶんであって、ここでやるなら実地試験と言うべきだな」
苦笑交じりで、志賀さんが茶化す。
「まあ、な。では、軽く行って来る」
言うや、トンと床を蹴り、人型メカの頭部に相当する方向へ飛ぶ。
「えっ」
「お、おい、優輝?」
まさか今すぐとは思わなかったので、二人して面食らってしまう。
「危ないぞ。エアロックまで戻るんだ」
頭部に取り付いた先輩が、こちらを振り返って言う。
掛ける言葉も思いつかず、その声に押されるようにして、僕と志賀さんは格納庫を出て行くしかなかった。
最後に振り返ると、頭部ユニットの一部が跳ね上がるように開いていて、そこに先輩が滑り込む所だった。
格納庫から退避した僕らは、急いで展望室へ移動する。
艦のほぼ中央、左右側面にある展望室に着くと、その窓外では、既に人型メカが多彩な機動を繰り返している最中だった。
「おう……」
志賀さんが、言葉を失う。
僕は僕で、その動きに一瞬で見入っていた。
まるで、鉄の塊の隅々にまで、先輩の意思が伝達されているのではないか。
そう錯覚すらしてしまいそうな程に、人型メカは滑らかに飛び回っていた。
*
試験飛行を終えた先輩を出迎えた後、僕は自室に戻ってきた。
椅子に座り、身体をシートベルトで固定して、ようやく一息つく。
目を閉じて、もたれた格好で力を抜く。
無重力というのは、楽なようでいて、やはり疲れるものだ。
何かにしっかりと、つかまっている。
ただそれだけで、随分(落ち着くのだから、不思議と言えば不思議なものだ。
ふう、と息を吐き、再び目を開けると、部屋の天井部分を見るとなく眺めてみる。
ここ数日、いや、そもそも この艦(に乗って以来、余りに多くの出来事があった。
あくまで、それまでの平穏な日常に比べて、ではあるけれど。
知らず、疲れが溜まっていたのかも知れない。
もちろん、慣れない無重力に晒(されていたせいだけでは無いだろう。
地球を出発してからここまで、慌ただしいばかりで、こうしてゆっくり思考を巡らすことすら忘れていた。
改めて考えてみる。
先史文明の遺産と目(される、巨大航宙艦、G・サジタリアス。
現代のテクノロジィを遥かに超越した、けれど、航宙艦と言うにしては杜撰(な部分のある、その構造。
それに乗り込むことになった僕達。
地球統合軍との衝突。
そして辿り着いたのは、やはり、先刻のことだった。
あの時、確かにその声?は聞こえた。
にも拘(らず、先輩の口は動いてはいなかった。
(腹話術?)
埒(も無い。
なぜあの場面で、先輩がそんなことをする必要があるというのか。
(じゃあ一体?)
突拍子も無いようでいて、けれど、酷(く自然に、その思考は僕を支配した。
(……思考を、読んだ?)
馬鹿な、と、すぐに一度は振り払う。
(レイジ……)
けれども、結局、時間が経てば経つほど、その疑念は強くなっていくことになる。
(レイジ?)
そしてそれは同時に、僕にとっての悪夢の始まりでも、あった。
(レイジ!)
唐突に。
何故か、懐かしい声に呼ばれたような気がした。
(ああ、この独特のイントネーションは……)
だが、詮索することもままならぬ内に、僕はそのまま、深い眠りに落ちていった。