PHASE_1 「さ迷える翼」

  ヒトよ、おごるなかれ。
  食物連鎖の枠から外れ、土にかえる事を忘れた お前達もまた、本来ならばほろびるべき種なのだ。

――“大戦”の折、嵯峨と対峙した闇の勢力の者の言葉

  ブラック ホールへ向け、死のダイブを敢行かんこうしたかに思われた、白銀の翼G・サジタリアス。
  「使うぜ。正真正銘、これが最後の力だ」
  あるじを失った艦長席に座り、艦と物理融合ダイレクト・リンクを果たした嵯峨が、G・サジタリアスにHFドライブを起動させる。
  『頼むぜ……途中できてくれるなよ、俺の力……!』
  「おっさんっ、不吉な事 言うなよ!」
  『どう足掻あがこうと事実は変わらん。腹ァくくれ』
  ブラック ホールのシュワルツシルト半径に進入し、激しい揺動にさらされるG・サジタリアス。
  「うわあああッ!」
  そして、一際ひときわ強い振動が、物理的に艦の一部と化した嵯峨を除く、5人を襲い――
  全員の意識を、強制的にブラック・アウトさせた。

  「う……っ」
  またか、と悪態をきたくなる衝動に駆られながら、身を起こす志賀。
  目立った外傷は無いようだったが、身体の あちこちが痛んだ。
  だが、痛みを感じるという事は、まだ、生きているのだろう。
  ふと違和感を覚え、舷窓に目をやった志賀は、そこで思考を停止させてしまう。
  「な……んだ? これ」
  目の前には、星空は無かった。
  替わって、まるで惑星上の昼間であるかに、一様いちように明るかった。
  だが、それは恒星の光によるものでない事は、直ぐに知れた。
  一様 過ぎるのだ。
  はっきりとした理由は判らなかったが、空間そのものが光っているのか、どこにも、影すら出来ては いなかった。
  どうやら意識を取り戻したのが まだ自分だけらしいと気付き、他の4人に声を掛け、揺すり、起こして行った。
  「どう、なったんだ?」
  「まだ生きてる、ってのだけは、確かだろうな」
  「成功、した、の?」
  「それがさ――」
  奈美の問いに、顔を舷窓に向ける事で答えとする志賀。
  「これは……一体?」
  「優輝、ここが どこだか、判らないのか?」
  ほとほと困り果て、皆が優輝を振り向くが、優輝にしたところで、判る筈もない。
  「そう言われても……。とにかく、観測データを取ってみるしかないな。それに、艦体に損傷ダメージが無いかどうかもチェックしなくちゃ――」
  あまりの異常な事態に、呆気にとられる一同の後ろで、何か重い物が床を打つ音が響く。
  「ッ!?」
  驚き振り返った一同の目にしたものは、艦長席フロアから転げ落ち、床に突っ伏す嵯峨の姿だった。
  「おっさん!?」
  「く……っ、すまねぇな、こんな時によ……。どうやら、もう、お前らを助けてやる事は、出来そうもねぇ」
  「父さん……!?」
  「言ったろ、“最後の力だ”ってな……」
  見れば、嵯峨の身体は既に、端々はしばしから砂の様に崩れ出していた。
  もはや力の総てを使い果たし、形状の維持すら出来なくなっていたのだ。
  「あなた……」
  「…………」
  優子に視線を向ける嵯峨。
  その口元は、何かを語ろうとしている様にも見えたが、しかし、声には ならなかった。
  服も、身体も、全てが砂となって床に広がり、その上に ぽとりと、CQNNコクーンが落ちた。
  後に残ったのは、無機質な金属製骨格フレームだけだった。
  それは、一人の男が逝った、という以上の、様々な意味を持っていた。
  だが、この異常事態の中、誰もが思考が追い付けずにいた。
  沈黙が、艦橋を覆う。
  明らかなのは、この異常事態の中、確実に不安要素が増した、という事だった。
  動けずにいた一同の中、逸早く立ち上がった優輝は、自らの席へ着くと、制御卓コンソールに向かう。
  「……とにかく、チェックは しないと。艦に何かあったら、父さんの最後の頑張りが無駄になってしまうから」
  それは もう、己に言い聞かせている事は、明らかだった。
  「じゃあ俺は、サーチ・ホーンで観測して来るよ」
  「! 志賀、外には出ないで。先ずは艦橋ここから、出来るだけ情報を集めてみる。明らかに通常空間ではないし、何が起こるか判らないから」
  「そ、そうか」
  自分に出来る事は無さそうだと判り、肩を落とす志賀。
  「その代りという訳じゃないんだけど、艦内を隅々まで見て回って来てくれないか。ここからじゃ察知できない異常があると いけないから」
  「お、おう、任せろ!」
  「私も行こう」
  「艦内だからって、油断は禁物だよ。充分 気を付けて」
  艦橋を出て行く志賀、ウォン。
  「優輝」
  「大丈夫。僕なら、大丈夫だよ、奈美」
  「…………」
  コンソールに向かう優輝の肩に置かれた奈美の手は、震えていた。
  『艦内のチェックなら、僕だけでも充分だったんだけどな』
  「ソウマさん。優輝だって、余裕の無いながら、志賀君に気を使ったんですよ」
  二人の様子を、艦橋後方から見守る優子とソウマ。
  『判ってますよ、優子さん。さすがに僕も、こんな状況に放り込まれて、論理的な思考が しづらくなってるだけですから』
  「本当に、あの人は……肝心な時になると居なくなる癖は、最後まで変わらなかったわね」
  『……ええ。アイツは昔から、そうでしたから』
  別れを告げる間もなく逝ってしまった一人の男へ、それぞれ想いを胸に秘める2人だった。

  『優輝君、しばらく僕が制御しておくから、少し休んだらどうだい』
  「……そう、ですね。お願いします」
  憔悴しょうすいした表情で、ソウマの提案を受け入れる優輝。
  艦の状態のチェックや、観測データの取り込み等で、既に1時間以上が経過していた。
  航行をソウマに引き継ぐと、張り詰めていた神経を休ませる為、居住区画へ降りる。
  「優輝、休憩?」
  「奈美。うん、ソウマさんに代わって貰ったから、少し休もうと思って」
  殊更ことさら 言葉は無かったが、二人は連れ立って展望室へ向かった。
  「何だか、おかしな状況ことになってしまったね」
  「もう何が起きても驚かない、って思ったの、何回目だか判らなくなっちゃった」
  不可思議な空間を進むG・サジタリアス。
  展望室の内部は、照明が不要な程、明るい。
  何を見るでなく外部映像を眺めていた優輝は、視界の端に異物を認める。
  数は少なかったが、時折デブリも通り過ぎる事が あった為、岩塊がんかいとも思えたが、次第に拡大されていくと、それは――人の形をしていた。
  それも、姿
  「!?」
  奈美の視界からは外れていたが、このままでは確実に目に入るだろう。
  反射的に、奈美の視界を覆う様に動く優輝。
  「わ!?」
  ゆっくり、ゆっくりと回転しながら流れて行く“それ”が、展望室の視界から消えるまで、どれだけ かかったろう。
  「ええと……」
  「?」
  そこまで来て、優輝は ようやく気が付いた。
  奈美を しっか と抱き締めている自分に。
  「……気分?」
  「あ、いや、違っ!?」
  腕の中、頬を赤らめた奈美に、上目づかいでたずねられ、慌てて手を放す優輝だった。

  自室として使っている部屋へ戻ろうとした優輝は、中央通路に人影を みとめる。
  それは、志賀だった。
  「お、優輝」
  「志賀? どうかしたの」
  「丁度良かったぜ。何だか おかしいんだよ、俺の部屋の時計。悪いんだけど、ちょっと見てくれねえか」
  「うん」
  志賀の部屋へおもむく二人。
  そこで優輝は、奇妙な現象を見る。
  「な……」
  その時計は、明らかに、時を刻んでいた。
  時間が、巻き戻っていたのだ。
  「壊れた、とか、そんな程度の話じゃないよな、これ? 何なんだ」
  「何だと言われても……僕にも――!?」
  「お、おい、優輝!?」
  言いつつ、何らかの可能性に思い至った優輝が、はじかれた様に志賀の部屋を飛び出す。
  今は無人となった、隣の部屋、そのまた隣の部屋へ、次々と飛び込んでゆく。
  「どうしたんだよ、優輝?」
  「志賀、ウォンさんにも声を掛けて。すぐに艦橋に」
  更に3部屋 程を見、出て来た優輝の顔面は、蒼ざめていた。
  それだけ言い置き、居住区画の奥へ駆け去る優輝。
  「お、おう?」
  艦に残る最後の5、いや、6人が集まった所で、優輝は重い口を開いた。
  「――ここでは、物理法則が“弱い”。或いは、一切通じない。僕達の知る常識は、通用しないんだ」
  そう言われて、直ぐに ぴんと来るものではない。
  どうやら理解は されなかったと察した優輝が、言葉を変え説明を続ける。
  「この空間は、局所的に時間の流れが違うみたいなんだよ」
  「それって、時計の故障じゃなくて、本当に時間が早かったり遅かったり巻き戻ったりしているって事?」
  「うん」
  「理解するには、手に余る話だな……」
  「俺はサッパリだ。訳が判らねえ」
  その事実の重大さだけは理解できるウォンと、そもそも事実理解が追い付かず、疲れた顔でうつむく志賀。
  「根本的な解決には ならないけど、出来る限り時計を持ち歩いて。あまりひどい流れ方をしていたら、直ぐに そこから離れられる様に」
  「そうよね……気が付いたら私だけ お婆ちゃん、なんて、嫌だもの」
  「…………」
  そういう意味で言った訳じゃないんだけど、と言おうとした優輝だったが、そんな非常識な事すら、ここでは“有り得ない話ではない”。
  思い直して、言葉を飲み込むのだった。

  『君も苦労しょうだなぁ。休憩しに下へ降りたのだろうに』
  再び解散し、艦橋に優輝だけとなった所で、ソウマが声を掛ける。
  「他の事なら ともかく、事態は一刻を争う話でしたし、仕方ありませんよ……」
  『で、ね。困った事に、その“一刻を争う話”、増えてしまったんだ』
  「えっ?」
  そら恐ろしい事実を、さらりと言って来る あなたの方が、余程 困ります。
  などと、言えるような優輝ではない。
  『一部だけど、観測データを見て気が付いた。この空間、明るく見えているけれど――エネルギーとしては“ゼロ”みたいだ』
  「!? つまり、それは――まさか!?」
  『うん、そういう事だね』
  明るいが、エネルギーはゼロ。
  それは、光源からのエネルギー供給が受けられない、という事だ。
  エネルギーの補充が出来なければ、減っていくだけとなり、当然の如く、やがては尽きてしまうだろう。
  不完全ながらHFドライブを起動したとはいえ、怪我けがの功名と言うべきか、恒星近傍に多少なりともとどまっていた お陰で、エネルギー残量には余裕があった。
  だが、それとて何時いつまでもつものではない。
  早急に、何らかの行動アクションを起こす必要があった。
  一先ずの処置として、不必要な区画の電力を完全にカットし、必要な区画も、電力供給量を下げる優輝。
  『このままだと、本物の幽霊船になってしまうね』
  「た、たいへいらくな事を言わないで下さい……冗談では済まないんですよ」
  『ごめんごめん。嵯峨に付き合って来て、今まで超常的な事象は山ほど見て来たけど、さすがに今回は お手上げだよ』
  ふざけている様な物言いではあったが、その表情は真剣そのものだった。
  「ソウマさんでも、ですか」
  『僕だって、ちょっと人の在りようから ずれてるだけで、万能でも全能でもないからねぇ』
  「判りますけど……気休めも時には必要ですよ、やっぱり」
  『大丈夫さ、優輝君。君なら何とか出来るよ。根拠の無い安請け合いだけどね』
  「……はぁ」
  どうやら この人は、嘘がけないのと、余計な一言が多い人なんだな、と、認識を新たにした優輝であった。

  居住区画、左通路3号室。
  志賀の使っている部屋の前に、ウォンの姿があった。
  「シガ、入っても良いだろうか?」
  『!? うわわわ、ちょっ、ちょっと待ってくれっ』
  ドアホンに訊ねると、何時いつになくあわてた様子の志賀が映る。
  ややあって、ドアが開き、志賀が顔を出す。
  「お、おう、飲み物 切らしたから、ちょっと食堂行って来るぜ。入っててくれ」
  「お邪魔する」
  如何いかにも大急ぎ、という風に、駆けていく志賀。
  一体 何を そんなに慌てなければ ならないのか?
  前職の なせるわざか、或いは職業病か、ついつい反応してしまうウォン。
  それとなく部屋を見回すと――机の上で、タブレット端末が引っくり返されて置かれていた。
  はしから光が漏れている所を見ると、電源が入ったままなのは明らかだった。
  「……?」
  何気なく表に返し、覗くと、そこには文章らしきものが書き込まれていた。
  嵯峨の造った錠剤型 翻訳機は、数は少ないながら余剰分が存在した為、G・サジタリアスに残留すると決めてのち、ウォンも服用していた。
  ただ、会話をする二者の、どちらか片方が服用していれば事足りる類のものである為、本来は必要なかった。
  だが文字に関しては、服用していなければ判読も出来ない道理。
  これ幸いと、軽く読んでみようという気になっていた。

   “私”も随分 歳を取った。
   “私”が生まれたのは、ありふれた地方の寒村。
   学校での級友も、当然だが都会に比べれば少なかった。
   だが、唯一、ありふれていなかった事がある。
   “私”の属する年次で、卒業式が、行われなかったのである。
   幾ら人数が少ないとはいえ、異常事態なのは明白だった。
   理由は――本当に様々だった。
   大半は、些細ささいな理由だったが、ここに書くのを ためらってしまうような理由も、もちろん中にはあった。
   結局、式前日の時点で、出席可能な生徒は“私”一人、という状況で、しかも その“私”も、前日に怪我をして入院してしまい、出られなくなってしまったのだ。

  それは、不思議な世界観の物語だった。
  志賀が戻って来ない事もあり、そのまま読み進むウォン。
  ページを繰って行くと、不意に文章が途切れた。
  どうやら書きかけの、最後のページのようだ。

   気が付くと“私”は、不思議な空間に立っていた。
   後から知る事になるが、そこには、既に旅立っていた級友たちの魂が、様々な理由から捕らわれていた。
   そう回数は多くないながら、あの後も級友たちとは連絡を取り合っていたので、そこそこの動向は掴んでいた。
   そうだ、思い出した。
   “私”は、最後の生き残りだったのだ。
   その“私”が、何の因果か、ここに居る。
   これは使命なのかも知れない。
   捕らわれた級友たちの魂を解放し、今度こそ、卒業式を行う事。
   それこそが、“私”に課された――

  「うわっ、かかか勝手に見るなよ!?」
  戻って来た志賀が、慌てて画面におおかぶさるが、後の祭りもはなはだしいというものである。
  「……これは?」
  「うう、いや、その……小説を、書いてたんだよ」
  「小説――そうか、チキュウにも、似た文化カルチュアが あるのだな」
  「て、事は、M13銀河にも あるのか」
  「もちろんだ。と言うより、私は本の虫でな。子供の頃は、周囲の同年代の趣味や話題に付いて行けず、本ばかり読んでいたよ。当然、小説も含めてな」
  「そうなのかあ」
  気恥ずかしげに告白するウォンを、さも不思議だと言わんばかりに、志賀が しげしげと見つめる。
  「そんなに、意外だろうか?」
  「んー、意外っつーか……何だろな、かわいいトコあるんだなぁと」
  「!? ……可愛いなどと――」
  「あっ、すまねぇ、年上に言う事じゃなかったな」
  「い、いや……そんな事を言われた覚えが無かったのでな、動揺してしまった」
  諜報ちょうほう活動の為、感情を殺すすべは身に着けたつもりに なっていたウォンだったが、こうも あけすけに褒められる状況は、想定していなかった。
  一人用の部屋には、椅子は一脚しかない為、2人してベッドサイドへ腰を掛ける。
  「っと、それでよ……読んだんだよな?」
  「ああ。許可を得ずに見た事は謝罪しよう」
  「う。……そこは まぁ、いいんだけどよ。その、どんなもんだった?」
  「完結していないゆえ、評価が難しいが……良くも悪くも、荒削り、という所か」
  思う所はあれど、あえて忌憚きたんのない意見を述べるウォン。
  「ようは、まだまだ、って事かぁ」
  長い息を吐く志賀。
  しかしその表情は、つっかえていた何かが取れたような ものだった。
  「正直過ぎたか?」
  「んや。世辞が聞きたかった訳じゃねえからさ」
  言い過ぎたかと心配を顔に出すウォンに、からりと笑ってみせる志賀。
  「だが、どうしてこういう話なんだ?」
  「ん? んー……その辺りは、考えたり組み立てた訳じゃないんだよな。ポンッと思い付いた、としか言い様がねえ」
  「そうか。物書きという人種は、みなそうなのだろうか」
  「それは判んねえけどなあ。第一、俺なんて物書きの内にはいれてねえよ。一緒にしちゃダメだろ〜」
  志賀の笑いが、苦笑いに変わる。
  「まだ原石なだけだ。磨けば光る」
  「そ、そうか? 読書家に言われると、その気になっちまいそうで怖いぜ」
  しばし、2人は物語について語り合った。
  「でな、級友達は先に逝っちまってて、主人公が最後の一人になるんだけど、そこから おかしな状況コトになるんだよ」
  「級友達の、死、か――」
  そこまで言いかけ、唐突に押し黙るウォン。
  「……ウォ、ン? ! 震えて、るのか?」
  「私は、怖い。……私たちは、どうなってしまうのだろう?」
  震えの止まらない その手に、黙って自分の手を重ねる志賀。
  「シガ?」
  「大丈夫だ。おっさんのフネが、この程度の事で どうこうなる訳ねぇ!」
  「……だが、そのサガも、もう……居ない」
  「ッ! ……もし、ここで終わるんだとしても――お、俺が最後まで一緒に居てやるから!」
  胸の決意を形にするかの様に、ウォンを抱き締める志賀。
  志賀の腕に包まれ、僅かばかりの安心感を得るウォンだった。

  正体の判らぬ空間に身を置く不安に、己を塗り潰されそうになる恐怖を、寄り添う事で乗り越えようとする優輝達。
  G・サジタリアスの先行きは、彼らの不安を形にしたかの様に、不安定なものだった。


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