PROLOGUE 「月は、いつもそこにある」

  西暦、2263年。
  アジア大陸の南東の外れ。
  かつて、中華人民共和国、福建省と呼ばれていた辺り。
  この時代、華北平原(中国北東部に広がる広大な低地)は ほぼ全域が水没していた為、この付近一帯は、元あった山脈の名をとり、武夷ぶい半島と呼ばれている。
  そこに、今は無き日本という国の人々が集い、暮らす街があった。
  この時代にしては比較的文化水準の高い土地柄に、2万人強の人々が、各々おのおのの生活をいとなんでいた。
  2263年も暮れようとしている、ある日。
  まばらな家々の光が照らす、薄暗い夜道を、一人の男が歩いている。
  ふと、男は何気無く、空を見上げる。
  「おう。今日も お月さんたちがキレイだぜ」
  達?
  そうなのだ。
  西暦2263年の地球の夜空には、二つの月が輝いていたのである。
  一つは、地球からの距離、約38万km、直径、3476kmという、太古より地球と共に在る、馴染なじみの月。
  そして、今一つは――

  戦いが、あった。
  人同士が争う“戦争”では、ない。
  20世紀の末、突如降臨とつじょこうりんした黒き邪神は、世界に破滅をもたらさんとした、と、記録にはある。
  それは、科学技術の爛熟らんじゅくにより、退廃たいはいした人心の生み出した、『闇』だったのだろうか?


  だが、それが、いわゆる“大仰おおぎょうに過ぎる表現”であったのかと言うと、どうやらそうではないらしい。
  あまりに この世界に似つかわしくない存在――魔物――を、この目で見たという老人も、居ない訳ではなかったからだ。
  しかし、今となっては誰も、その真相も、真実の意味も……知る事は出来ない。
  戦いは後に、おおむ“大戦”と呼称されるようになる。
  その“大戦”の折。
  はるか4億kmもの彼方から急接近し、そのまま重力安定点に居ついてしまった、太陽系最大の小惑星、ケレス。
  それこそが、西暦2263年の地球の夜空に輝く、二つ目の月なのである。
  直径こそ1000km弱と、元々ある月の4分の1程であるものの、夜空に それを見いだすのは容易だった。
  しばらく立ち止まり、月を眺めていた男は、奇妙な振動を感じた。
  「ん? 地震か?」
  すぐに収まった為に、男はそれ以上気に止める事も無く、夜道を去って行った。

  その頃。
  丁度、男が立ち止まった辺りの、1000メートル以上も地下。
  謎の地下空間内では、白銀に輝く巨大な船体が、覚醒を誇示こじするかにうなりを上げていた。
  500メートルは あろうかという巨体を収めてなお、かなりの余裕を持つ地下空間全体を、轟音ごうおんが満たしていた。
  音源は、二つ。
  一つは、船の駆動音らしきもの。
  もう一つは、地下空間の両サイドから流れ込む、大量の水の音だった。
  ゆっくりと、だが確実に流入する水は、地下空間を満たしていく。
  やがて、地下空間が全て水によって満たされる。
  船の両側に在り、船の支持と、船内外の行き来を担っていた人工岸壁が、壁面へ収納されていく。
  その完了を待たず、船は、載っている支持台座ごと、前方の水路へと移動を始めた。
  水路壁面では、船を先導するように、照明が連続して灯っていき、それが触れることで、何重にも設置された厳重な隔壁かくへきが、一枚、また一枚と開いてゆく。
  そして、最後の隔壁が開き……深く、暗い海底が現れた。
  支持台座のアームが格納され、同時に、船尾左右にある補助エンジン・ユニットが、船体を押し出す。
  ぽうっ、と、何であろうか、光るものが船の前を横切っていった。
  船尾メイン・エンジンに光が宿り、力強く、船は浮上してゆく。

  やがて、人々は見る。
  天空から常に歴史を見守ってきた、二つの月輝く夜空を、白銀の翼持つ船が翔ける様を。
  月は、いつも、そこにある……。


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