PHASE_-1 「平穏な日々」

  ……今も宇宙のどこかを流離さすらっているのであろう、のフネへ捧ぐ……

2×××/×/×× 記す

  その本を手に取る。
  序文じょぶんの日付は、かすれていて文字が判読はんどく出来なかった。
  ページをれば、そこには歴史が語られている。
  「私」はこれより、遺跡の扉を開く冒険者となる――

  大陸を渡る風は、この武夷ぶい半島にも、あれから何度目かの、花の舞い散る季節を運んでこようとしていた。
  私は、外が見渡せるよう窓際に置いた机で、筆をひた走らせている。
  と、横合いから、かんばしい香りが たゆたう、ティーカップが差し出される。
  「はい。一休みした方がいいですよ」
  「ああ。ありがとう」
  筆を置いて それを受け取り、おもむろにひと口味わう。
  清冽せいれつな香りの中、一際鮮やかに、味覚を打つものがあった。
  「ん、いつもと違うね?」
  「判りますか? 今日は、良いものが手に入ったんですよ」
  そう言って微笑みながら、彼女は盆を後ろ手に、部屋を出て行った。
  それを見送ってから、私は、机の上と言わず周囲に積み上げた書どもを、改めて見やった。
  この雑記も、書き始めて随分ずいぶん経つ。
  あれから時が経ち、彼女も だいぶ落ち着いたように見える。
  私はと言えば、時には私を助け、時にうとましくのろった“あの”能力を失い、今は ただの人として暮らしている。
  (いい機会だから、私達の体験を形にしてみるか)
  そう思い始めたのは、確か、一昨年だったろうか。
  彼女の経過が良い事実も、そう思わせたのかも知れない。
  うまく語れるかは ともかくとして、まずは始めてみようと思う。
  そう。
  天駆あまかける、大いなる白銀の翼と共に在った“神話”を。

  ――西暦、2260年。
  数十メートルもの上昇を見せた海水面も、大分以前に安定し、地殻ちかくプレートの異常増進いじょうぞうしんによる大災害の傷跡も、打ち捨てられた都市を除けば、ほぼ復旧を完了していた。
  ただそれは、日本列島を始めとする、崩壊してしまったいくつかの諸島、列島や大陸辺縁へんえん部、および水没した海抜の低い土地を除いて、ではあるが。
  地球は、一かけらの誇張も無い“人類絶滅の危機”を迎えた21世紀を脱して後、人類文明発祥よりの方、かつて無いほどに、平穏へいおんな時の中にあった。
  そんな時代、である。

  昼休み――
  その後ろ姿を見つけた僕は、知らず、声を大に呼び止めていた。
  「先輩!」
  「やあ、レイジ。どうしたんだい?」
  僕に気付いた先輩は、僕の心中などどこ吹く風と、笑顔で返して来た。
  「どうしたんだい? じゃぁないですよ〜! ヒドイじゃないですか。何で僕を置いてけぼりにしたんですか!?」
  「え? ……あ」
  怪訝けげんな顔はそれこそ一瞬で、後には「シマッタ!」という顔が残るという寸法である。
  まあ、先輩の場合、十中八九こんな調子だから、その点に関してだけ言うなら、特に問題じゃないんだけれど。
  だけど、今日の案件あんけんは穏やかには済ませられないものだった。
  「あはは、ゴメンゴメン。時間に来ないし、急いでいたからね」
  「少しくらい待ってくれてもいいじゃないですか。せっかく楽しみにしてたのに〜」
  非難轟々ひなんごうごう、少し大袈裟おおげさな位に、ぶぅたれておく。
  先輩の鈍感さ加減に対するには、これ位は必要だと、僕などは思う。
  「うん、そうだね、すまない。今日も行くから。今度はちゃんと連れて行くよ」
  「お願いしますよ、ホントに、もう」
  腰に手を当て、“ほとほと困った”ジェスチャーと表情で、トドメの釘を刺しておく。
  さすがに ちょっとやり過ぎかなあ、と心の中で苦笑いをする。
  が、そんな思考も、先輩の肩越しに近づいてくる人を見て、吹っ飛んでしまった。
  「! そ、それじゃ、僕はこれで。ちゃんと待ってて下さいよ!」
  僕はあわてて先輩と別れ、その場を離れた。
  でも、やっぱり気にはなる訳で、二人から死角になる所で足が止まってしまう。
  「優輝君」
  「ん? や。今日はどう?」
  先輩の、文法を完全に無視した会話にも、その人は たじろぐ事無く返す。
  「ううん。今日は用があるの」
  「そうかぁ、残念だなあ。えーと? じゃあ、別の用?」
  「えっ。あ、うん……」
  彼女が、何かを言いよどむ。
  「今の、佐々木君、でしょう?」
  僕の事が出るとは思ってもみなかったから、危うくつまづいて物音を立てそうになってしまった。
  「そうだけど?」
  「私、彼の気にさわるような事、何か したのかな? 何だか、初めて会ってから ずっと避けられてる気がするの」
  僕は いたたまれなくなり、それ以上聞いている事が出来ずに、教室に戻った。
  もちろん、その後どのような会話がなされたのかは、知る由も無いし、知る必要も無かった。
  思い出すまいとする気持ちとは裏腹に、まぶたを閉じると、亜麻あま色の髪をなびかせる、年上の少女のフィルムが映写される。
  ……だけど、僕はもう“その感情”をしまい込んで、出すつもりは無かったから、振り払う為に駆け出すしかなかった。

  不謹慎ふきんしんだと言われるかも知れないけど、僕は、すごくドキドキしていた。
  この時代にも、軍隊というものは存在していたし、確かに何度も戦闘機や戦闘車輌は見た。
  でも、戦闘“艦”は、見た事が無かった。
  ちなみに、ここで僕は、潜水艦を戦闘艦とは呼ばない事にする。
  あ、僕が潜るの苦手だからじゃないよ。
  何故かって? 20世紀の終わりごろにはもう、必要とされなくなっていたんだって。
  だから、らしい。
  何でこんなことを解説しているかと言うと、実は今日、その伝説の戦闘艦が見られるかも知れないからなんだ!
  昨日、先輩に置いてけぼりを食ったのは、この事だった。
  先輩の後について歩き出して、丘を二つ越える頃には、高揚こうよう焦燥しょうそうに変わっていた。
  「先輩先輩、まだなんですか!?」
  「レイジ、そんなに慌てなくても、フネは逃げないよ?」
  うっ、苦笑いされてしまった。
  ついつい気が急いてしまう。そんな自分に気が付いて、自分でも苦笑してしまった。
  それから、更に丘を一つ越えた先に、目指す東条邸の敷地が見えてきた。
  「だけど、本当にこんな所に?」
  辺りを見渡しても、海どころか、まず水そのものが見えない。
  まあ、海岸線まで少なくとも数キロはある筈だから、当たり前と言えば、そうかも知れないけど。
  「言ったろう? ただのフネじゃない、ってさ」
  含みのある言い方はしても、結局教えてくれないんだよなぁ。
  憮然ぶぜんとした僕が可笑しいのか、先輩が茶化す。
  「もうすぐ判るんだから、そんなに漬物ツケモノになるなよ」
  絶句ぜっく
  それって、“しょぼくれるな”って言いたいのかな?
  うう、相変わらず、どう反応していいかワカラナイよ。
  あ、そうだ、自己紹介が まだだったよね。
  僕は佐々木。佐々木レイジ。名前は漢字じゃないよ。
  クォーターだから、という訳でもないんだろうけど。
  主に、元・日本人が住んでいる、『ヤマト・コミュニティ』でも、今はハーフやクォーターも珍しくはないんだ。
  もっとも、今時人種が どうのこうの言うなんて、流行はやらないけどね。少なくとも、僕はそう思う。
  それから、隣の このヒトが、関口せきぐち 優輝ゆうき先輩。
  風貌ふうぼうは それなりに整ってて、だから、上級・同級・下級生問わず、密かに人気があるみたい。
  でもまあ、話せば判るけど、この性格だからねえ。
  お近付きになりたいという人は、いないんだよね。
  それでもちゃんと付き合ってる人がいるんだから、世の中判らないもんだ。
  でもこの話題、何故か僕、目ぇ細めちゃいますヨ。
  東条邸の敷地には、とっくに入っていたらしい。
  僕は全く気付かなかったけれど。
  (あんな、柵も何も無い所で、気がつく人がいるんだろうか?)
  一瞬、まともに取り合ってしまったけど、そんな必要が無い事はすぐわかった。
  ともかくも、屋敷の裏手へ回り、そこにあった物置――いや、蔵?――へ入っていく。
  「なっ!? 何ですか!? これ」
  「ん? いや〜、何って言われてもね。エレベーター。これに乗って行くんだよ」
  またそんな、事も無げに言うんだから。
  目の前のそれは、今現在使用されているものとは、見た目からして異質だった。
  余りにメカニカルなんだ。まるでSFに出てくるそれみたいに。
  「とにかく。乗った乗った」
  うながされるままに乗り込んだそれは、見慣れた物と比べて、優に倍の容積がありそうだった。
  人一人くらいなら、ここで生活が出来るかも知れない。
  無意味な事を考える間に、クンッ、とエレベーターが一回だけ揺れ、そして高速で下降を始めた。
  何故そう言えるのかは、僕の目の前にある、これが答え。
  そう、高度計ならぬ、この場合は深度計……で、いいんだろうか。
  呆れるくらいのスピードで、カウンターの数字は増していった。
  100……200……300……。
  同時に、身体に掛かる重力が、少しずつ引きがされていった。
  ……600……700……800。
  900に差し掛かるか、過ぎた辺りかは判らなかったけど、箱状空間に重力が戻り始め、そのまま、余分に僕を引っ張り出す。
  我慢していたのは、1秒だったのか、それとも10秒だったのか?
  「ほい、到着〜」
  ぐい、と扉が開く。
  その先の空間は、瞬間的には把握はあくしきれないほどの広がりを持って、存在していた。
  「はあぁ」
  驚嘆きょうたんの声は、空間に吸い込まれていった。
  「ほらほら、進んだ進んだ」
  背中を押されて、否応なしに連れてこられたのは、岸壁がんぺきのような場所だった。
  「ここは?」
  「判らないかい? ようく目をらしてごらんよ」
  奇妙なことに、先輩の嬉しそうな笑い加減が、強くなっているような気がした。
  「そう言われても、何かビルのようなものしか――」
  空間の持つ、一種独特な空気にまれていたのだろう。
  違和感というには大きすぎる“その何か”に、僕はようやく気が付いた。
  「!? ……!!」
  それが何かを認識した時の僕の驚きは、どうやっても表現できそうにない。
  場所のせいもあるが、ここからでは一望する事が出来ないほど巨大な物体が、そこに鎮座ちんざしていた。
  伝説の戦闘艦を、僕はこの目で見ているのだ!
  「うわあっ! 凄い!」
  「だろう?」
  得意げな顔をしているだろう先輩をそっち退けで、僕はその威容いようを眺めた。
  艦橋かんきょう部分などは、現存するどのビルより高いかも知れない。
  そして、もっとも目を引く、巨大な翼。
  「ん?」
  「? どうかした?」
  「でも、何だか記録にある戦闘艦とは違いませんか?」
  その疑問に対する、先輩の しれっとした答えは、僕の思考をフリーズさせるに充分な破壊力を持っていた。
  「そりゃそうさ。このフネは、水上艦じゃない。なんだから」
  あまりに さらり と言われたので、その意味が頭の中で合致がっちするまで、かなり掛かってしまった。
  「え? ……うちゅう、ですか?」
  我ながら間の抜けた返事だと、後になって、思い出す度に苦笑いする事になるのだが、この時点で そんな事に気付く余裕は無い訳で。
  「そう。宇宙」
  「ちょ、ちょっ、ちょっと待って下さいよ! そんな? そんなものが? いや、“これ”が そうだって言うんですか!?」
  「だよ?」
  この時の僕の困惑は、そう簡単には理解して貰えないかも知れない。
  そこで、すこし説明を入れようと思う。
  まず。この時代の宇宙軍にも、宇宙戦闘艦と呼ばれるものは、ある。
  ただし、それは惑星上……大気圏内では活動出来ない宇宙専用のもので、当然、宇宙空間にあるドックで建造けんぞうされている。したがって、地上で建造される事は“無い”。
 そして形状。はしょって言えば、見た目が“筒”と“棒”と“板”で出来ているのが、現在の宇宙艦。
  ところが、目の前の巨大な船体には、艦砲が無い上に、翼までついている。全体も“海に浮かぶ船”っぽい。
  どう考えても、非常識なデザインなんだ。
  「先史文明せんしぶんめい遺産いさんだからじゃないかな? その辺りは判っていないんだ」
  またも さらりと言い切りますか。しかも随分ずいぶんいい加減だし。
  「理由が安易あんい過ぎませんか?」
  多少、いや、かなりの部分呆れながら、僕は食い下がった。
  「まぁまぁ。それは おいおい解明していけばいいことさ」
  が、ニコニコしている割に押しの強い先輩のその一言で、あっさり却下きゃっかされてしまう。
  「さぁ、中を見に行こう」
  言うが早いか、さっさと先に走って行ってしまった。
  「あぁっ、お、置いてかないで下さいよーっ!」
  僕は、いまだドックにその身を潜める巨艦を一瞥いちべつしてから、先輩の後を、慌てて追い掛けた。
  それが、天空を駆ける大いなる翼との、出合いだった。
  思えば、これこそが、「運命の流転るてん」という言葉を意識するようになった、きっかけかも知れない。

  そして、三年の月日が流れる――


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