PHASE_4 「木星圏にて」

  人は――常に、“何か”を騙し続けて生きている。
  ……いや。そうしなければ、生きていけないのだ。
  それもまた、人の負う業なのかも、知れないな……。

  眼球が、びくびく、びくびくして止まらない。
  火星での事件から、また数日が過ぎ。
  G・サジタリアスは、木星圏へ達していた。
  僕達は、一体何という事をしてしまったのか。
  火星は どうなっただろう?
  それを知る術は、僕らには無い。
  考えても――“考えるだけ”では、答えは出ない。
  「ッ」
  薄暗かった空間を、唐突に赤い光が満たす。
  それは、壁面いっぱいに映し出された、木星の光だった。
  どこへ向かうでもなく艦内を さ迷う内に、展望室へ辿り着いていたようだ。
  (映像を見るでなく、ここを使う日は来るんだろうか)
  現実逃避するには、都合の良いタイミングだったかも知れない。
  今、艦の全ての舷窓には対磁気・対放射線シールドが降りている。
  もちろん展望室ここも例外ではない。
  当然、今見ている木星も、直接目視しているのではなくて、映像だ。
  「……?」
  僕は どれくらいの間、見るとなく木星を眺めていただろう?
  何か、違和感があった。
  確かに今、視覚情報の中に、何か“在り得ない”モノが――
  目をらした部分が、ゆるゆると拡大されていく。
  僕の感情を読み取った、訳は無いだろう。
  多分、視線を感知して、そこをズームする機能でもあったんだと思う。
  けれどそのお陰で、僕は違和感の正体を、アッサリととらえる事が出来た。
  「レイジ、君もここに居たのかい?」
  「うわッ!? ……先輩、おどかさないで下さいよ」
  「あれ、ごめんごめん。脅かすつもりは無かったんだけどね」
  「そ、それより――あれを!」
  「んん?」
  僕の指差す先、木星大気の中に、そのシルエットは、確かに在った。
  「どどど、ドラゴンというモノでは!?」
  「はははは、落ち着きなよ、レイジ」
  呂律ろれつの回らない僕を、先輩は苦笑いでいさめた。
  けど、特に肯定するでもなく、否定するでもなく。ただ静かに、柔らかな表情のまま、その影を見つめる先輩。
  そして――
  (ここに居たのか……アンタも物好きだなァ)
  (!?)
  また聞こえた。
  明らかに、先輩の声で、でも“音として”ではなく。
  僕だけが気付いている、なんて事は無いと思うけれど、最近では この状態の先輩を、第二人格だと定義していた。
  「なァ、レイジよ。木星こんなン見てると、地球ってのが いかに小せぇ世界か判るだろ?」
  視線を木星に突き刺したまま、呟く先輩。
  気付くと その表情は、わずかに硬くなっていた。その言葉からは怒りの感情が伝わって来る……ような気がした。
  何故だろう?
  気のせい、だったんだろうか?
  そうかも知れない。
  だいたい……人の感情を読み取れるなんて。
  誰かに話そうものなら、だ。
  先輩が去り、再び独りになった展望室で、怖気おぞけを振るった僕は、足早に そこから去った。

  展望室を出たその足で、自室に戻ろうと しかけていた僕は、そこで空腹感に気付いた。
  気分がどんなに重苦しくても、お腹は空く訳で。
  腹が減ってはいくさは出来ぬ、と、大昔に誰かが言ったらしい。戦は さて置くとしても、腹ごしらえは必要なようだ。
  僕は行き先を食堂へ変更した。
  ちなみに、G・サジタリアスの重力ブロックには、かなりの規模の鶏舎や菜園があって、あれもこれも、とまではいかないものの、自給可能な食材の種類は結構な数にのぼる。元々、外宇宙へ行こうというフネなのだから、当然なのかも知れないけど。
  そんな事を考えていたら、急かすかのように腹の虫が鳴る。
  (……やきそばパン貰おう)(´_`;)
  切なげな腹をさすってやりながら、僕は食堂への道行を急ごうとした。
  「ぅぁ!?」
  突然何かに服を引っ張られた感覚があって、足が宙に投げ出される。
  そのまま、一回転するつもりで頭上越しに背後を確かめると、そこには……。
  「美緒――さん?」
  半回転して通路の天井に足を着くと、僕の服のすそを掴んでいる美緒さんが居た。
  「……ええと。何か、御用かな?」
  彼女は黙ったままで、さりとて、裾を放してくれそうな気配も、無い。
  ほとほと困り果ててしまった僕は、一石二鳥の案を持ち掛ける事にした。
  「食堂、行くんだけど、一緒に行くかい?」
  有り難い事に、そこにはコク、と首を振ってくれた。
  手を引いてあげようとしたんだけど、差し出した手をじっと見つめる美緒さんからは、何となく、拒否されたような感じが伝わって来た気がしたので、相変わらず放してくれない裾を引きつつ、食堂へ入った。
  「あっ、レイジ君」
  「あれ、白長滝しなたきさん? 調理場で何してるの?」
  「うん、炊事の お手伝い。何かしてないと、落ち着かなくて……」
  「そっか……」
  どうやら今の今まで、現実逃避は成功していたらしい。白長滝さんのその言葉で、一気に現実に引き戻される。
  その光景を直接目にしなかった、艦内の他の人達にも、既に情報は伝わっていた。
  “あんな事”を しでかしたフネに乗り合わせているのだから、自分達も同罪にされるんじゃないか、ぐらいは考えるだろう。
  「それで、あの、その」
  「?」
  言葉を詰まらせた白長滝さんが、視線を僕の後ろ、少し下辺りに流す。
  「ああ、彼女は――」
  美緒さんの事は、簡潔に紹介しておくことにした。
  今はもう、大き過ぎて個人の手に余る問題よりも、腹の虫の問題を解決したい気分だったから。
  白長滝さんとのやり取りの間中、美緒さんの裾を握る力が、少しだけ強かったような気がした。

  そこは、乗員の殆どが立ち入らない一画。
  「う〜む……」
  「ユウキ、どうした?」
  やおら聞こえた唸り声に、入ってきた御堂は面食らう。
  「ン? おう。いや、ちょいと手こずっていてな」
  「何だ? コスモ・シャドウ……に似てるが、違うもの、だな」
  優輝が難しい顔で見つめる物。
  それは、彼の前にある、立体投影された画像だった。
  先だって、優輝が操って見せた巨大な鋼鉄の人型。
  その名を、コスモ・シャドウと言う。
  映し出されているのは、コスモ・シャドウのデザインを少し弄って変えたようなものだった。
  「量産型さ」
  御堂に向きもせず、腕組みしたままで、それだけ言う。
  「量産型……コスモ・シャドウの量産型ということか?」
  そこまで来て、ようやく優輝は腕組みを解き、振り返った。
  「ああ。艦外作業とか色々、これから必要になる気がするんでな。まさか毎度コスモ・シャドウを出す訳にもいかねェだろう」
  「ユウキ。こう言っちゃなんだが、それはどうかと思うぞ。俺は、個人的には あのホーン・ド・コアの武装……あれだって、やり過ぎの感があると思うんだ」
  御堂の言葉の先を、黙って促す優輝。
  「コスモ・シャドウはいいさ、お前が操ればこその あの能力だし、人となりも確かだからな。……だが、ホーン・ド・コアや、その量産型は“誰でも乗れるモノ”なんだろう?」
  「なぁ、御堂よ」
  「ん?」
  「強引に このフネに乗せちまったこと……引っかかってねえか?」
  「すべからく“無い”と言えば……それは嘘だな。だけど、どんな事をしていたって、出てくる種類のものだし、その程度の事さ。第一、今の地球に見知った顔は お前しか居ないんだ、あのまま残ってもな」
  「そうか……」
  「どうしたんだ? らしくないじゃないか」
  「そうか? そう見えるものなのか。……んにゃ、ちいと気掛かりだったんでな。あの頃は俺も舞い上がってたしなぁ」
  がりがりと後ろ頭をきながら、照れ臭そうに言い訳を口にする優輝。
  「気にすることじゃないさ」
  「そっか。……おし! んー、そんでな、量産型コイツのことなんだが。ま、結論から言えば、心配するコタないぜ。こいつは あくまで作業用だからな。それと、“安全装置”を乗っける予定でな。当然だな。単純な戦闘能力比じゃ、ホーン・ド・コアの数倍だからな。暴れられたら たまったもんじゃねえ。……そんくれえは、オレだって理解してるつもりさ」
  「そうか。それなら、いいんだが」
  この10日ほどのち、完成した各種作業用人型マシンは披露される事になる。
  だが、この試作機1機を除き、その後、が製造されることは無かった。

  木星8番目の衛星、カリスト。
  数多くあるクレーター群の中でも、多重リング構造を持つ大クレーター、ヴァルハラ盆地。
  何故そこにだけ集中したのかは不明ながら、同じポイントに幾度も隕石の衝突があったのだろう事は、疑いようも無い。
  直径3,000キロを越えるこの巨大なクレーターを横目に、G・サジタリアスは、木星からは裏側に当たる、ある施設を目指していた。
  資源採掘前進基地――
  ここは、主に木星圏で使用される水資源とする為、分厚い氷の層を切り出し、送り出す施設だ。
  水の在庫が若干不足気味になっていたG・サジタリアスには、補給が必要だった。
  しかし。
  情報は、悪い方に、悪い方にと歪む形で、伝わるものらしい。
  火星での事件が、未だ伝わっていない事を祈りつつ、物資補給を要求しようと通信回線を開いた途端、カリストの責任者はあわれとすら思える及び腰で、基地人員の救命を嘆願たんがんしてきたのだ。
  弁明しようとする先輩を、東条さん以下、誰もが状況を利用する方向で、押し留めた。
  卑怯とそしられようと、必要不可欠である物資には代えられない。
  それは判っているけれど、僕の中には釈然しゃくぜんとしないものが残ったのも、確かだった。
  採掘基地は、木星の強力な磁気から内部を護る為、幾重にも重ねられた巨大なドーム状構造になっていた。
  第一ドームの内側へ滑り込み、停泊するG・サジタリアス。
  本来宇宙港は第二ドームの内側にあるらしいのだが、G・サジタリアスのサイズでは進入出来ないという事らしかった。
  与圧されているのは第三ドームの中だけとの事で、僕達は軽装タイプの宇宙服を着込んで、艦を出た。
  ちなみにメンバーは、東条さん、先輩、そして僕。
  後の人達は待機になった。
  艦長である東条さん、実質艦を動かしている先輩はともかく、何で僕? と思われるかも知れないが……正直、それは僕が聞きたかった。
  先輩に半ば無理矢理指名されてしまったのだ。
  第二ドームを過ぎ、細々こまごました手順を踏んで、ようやく与圧された第三ドームの内部に至った僕達は、脱ぎ捨てる勢いでヘルメットを脱いだ。
  この窮屈きゅうくつさには中々、慣れない。
  「ふーーっ」
  東条さんの長い一息が、それを物語っているようだった。
  改めて見回すと、ひやりとした空気の中、多くの人々が切り出し作業をしていて、辺りには人の背丈を越えるブロック状の氷が、ベルトコンベアらしき物に載せられ、いくつも移動していた。
  一頻ひとしきり辺りを見回した所で、人選について問いただそうと口を開こうとした時。
  青年が一人、僕らに駆け……いや、跳び寄って来た。
  「あんたら、外のフネの人らなんだろ? 俺も、乗せてくれ!」
  「ン……? 君は?」
  「俺は、シャマ。シャマ・デファーニだ。頼む、どこでもいい、ここじゃない所へ、連れて行ってくれ!」
  「貴様ッ! 逃亡する気か!?」
  そのやり取りを聞きつけた、制服を着込んだ屈強な男が詰め寄り、シャマと名乗った青年の襟首えりくび手繰たぐって締め上げた。
  「や、やめて下さい、何してるんです!?」
  余りの極端と取れる扱いに、先輩が割って入ろうとしたけれど。
  「黙れッ! 貴様などには関係の無いことだ!」
  先輩の方を見もせずに、シャマを片手だけで取り押さえた男は、空いた一方の腕で先輩を払い除けようとした。
  何せ、ギルボガルハも かくやという筋骨隆々の男と、標準体型の先輩。
  知らぬ者が見ていれば、それは確実に、先輩が吹っ飛ぶであろう場面だった。
  でも、その豪腕は先輩の目前で、何かに引っ掛かったように止まった。
  そして――
  「……ここは、監獄か?」
  声音が、変わる。と同時に、ただでさえ一面の氷原、して知るべしの周囲の温度が、一気に数度、下がる錯覚を覚えた。
  「何だとッ!?」
  だが、己の考えに酔っているのだろう男は、そんな事には気付かず、先輩を振り返って……。
  絶句、した。
  その時、シャマも見たのだろう。
  目の前に立つ先輩の眼が、金色の炎のごとくに輝くのを。
  (!! 目、が……色に、輝いて!?)
  「手を、離せ」
  「う、あ……」
  何かが、内側から男を突き崩した。
  シャマを拘束していた力が急速にえて行くのが、傍目はためにも判った。
  「ッ」
  予期していなかった開放に対応しきれず、シャマはふわり、と尻餅をついた。
  カリストの重力は、地球の12%程しか無い。これが地球であれば、したたかに尻を打っていた事だろう。
  「大丈夫かい?」
  「…………」
  シャマが恐る恐るといった風に見上げると、先ほどまでの先輩が、手を差し伸べているだけだった。
  「あ……」
  「え?」
  「アンタは――」
  シャマは、その先を言えなかった。先刻感じた、場の空気すら圧倒する威圧感が、言わせなかった。
  そして、彼は永遠に、その機会をいっする事となる。
  「ようこそ。シャマ君……だったか? このフネは、自由のフネだ。乗るも降りるも自由さ。と、言っても、俺達はこの先、太陽系を出ることになるから、物理的に降りられなくなる可能性が高いけどな?」
  「ああ。……!?」
  今一度ひとたび、シャマは金の光を見た気がした。
  この後、予定の通り水の補給をしたのだが、幾らかの食糧や医薬品といった、予定外の物資も補給出来た。
  そして補給作業が進む間、先輩は作業員達に、その気が有るなら乗艦を認める旨を呼び掛けていたが、シャマ以外にG・サジタリアスに乗り込もうという者は居なかった。

  一先ひとまずの補給を終えたG・サジタリアスは、木星圏を後にしようとしていた。
  珍しく予定を話してくれた先輩によると、この先は、海王星方面へ若干の進路修正をした後、そこから大きく北天へ向きを変え、太陽系外縁天体の一つ、ハウメアを目指すらしい。
  何でも、東条さんの旧知の人が、今丁度、調査船団を率いてハウメア付近に居る筈なのだそうだ。
  未だ太陽系を出ていないとはいえ、ここからは惑星間の距離も かなりのものになる。一つの目的地へ辿り着くにも、相応の時間が掛かるだろう。
  慌ただしかったこれまでと打って変わって、ようやく宇宙の広大さを実感する道のりになりそうだった。
  そしてそれは、ある意味で不安を薄めてくれる材料でもあった。
  主要惑星から離れれば、統合軍も おいそれと追っては来られない、という事だ。
  ハウメアの後にどこへ向かうのかは決まっていないようだけれど、少なくとも地球方面へ引き返す選択肢は無いだろう。
  一番妥当だとうな線は、そのまま外宇宙へ向かう――辺りだろうか。
  先輩や東条さん等、目的を持って乗り込んでいる人はいるけど、殊更ことさら“全体の総意としての”目的が無い旅だ。
  多分、そうなる。
  (……何してるんだ、僕は)
  後から考えるに、この時期の僕は、一人で考え事をする時間が長過ぎたように思う。
  いけないいけない。やっぱり人間、他の人と語らわないと。思考もかたよってしまうし、何より精神的に宜しくない。
  とは言え。
  何故か、見えなくなる前に もう一度、木星を眺めたくなった。
  そんなこんなで足を向けた展望室には、今回は先客がいた。
  そこに居たのは、ついさっきG・サジタリアスに乗り込んできたシャマ……君と、美緒さんだった。
  気にならないか、と問われていたら、流石さすがに嘘をき通す自信は無かった。
  どうして、こんなに気になるのか。自分でも判らなかった。
  二人の会話――といっても、美緒さんは あんな状態なので、シャマ君が一方的に喋っている訳だが――は、ここまでは聞こえてこない。
  それもまた、一因だったかも知れない。
  もやもやした気分は、簡単に注意力を奪っていく。
  どうやら隠れる事すら忘れて、僕は突っ立っていたらしい。
  気が付いたシャマ君が見咎みとがめる。
  「おいそこ! 何見てんだ!」
  こんな対応をされる事は、ヤマト・コミュニティでは無かった。
  だからという訳ではないけれど、僕はきびすを返し その場を後にする。
  何かがつながった気がした。
  過激な言動をした人々が、治安維持の名目で隔離される先。
  それは、外惑星系なのではないだろうか?
  いや、あるいは、地球以外の全てに、送られている可能性もあるかも知れない。
  そう考えれば、あの火星軍機の一種異常さすら感じた しつこさにも、納得が行くからだ。
  もちろん、全ては僕の想像であって、真実がどうなのかは判らない。
  何にせよ、チクリ、と、胸に小さな痛みを覚えたのは――錯覚ではない気がした。


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