PHASE_5 「最果ての地の再会」

  人は、現在の己のスタンスから掛け離れたものを許容することが出来ない。
  例えそれが、自らの過去や、未来の姿であったとしても……。

  ……生きているという事。
  何の為に?
  生きる為だけに生きている。
  何がしたい?
  何かがしたいわけじゃない。
  意味はあるのか?
  わからない。有るかも知れないし、無いかも知れない。
  ならば何故生きている?
  さあ……。
  
  繰り返される、無為な質疑。
  問う声も、答える声も、覇気どころか生気すら無い。
  夢の中。
  そう。
  コレハ ユメナンダ……。
  
  「……!」
  がば、と上体を起こす。
  大概たいがいにおいて そうであるように、夢見の悪い寝起きというものは、えてして嫌な汗を かいているものだ。
  御多分に漏れず、着衣は水を浴びたように ぐっしょりと、つ、体温によって、そこはかとなく不快な温度に保たれていた。
  不快指数を判断するという空調のシステムは、作動している筈だったが、まるで効いていないと感じられた。
  「…………」
  一つ、小さく息を吐き、ベッドから降り立つ。
  デジタルの時計は、青年の故郷の時間に合わせられており、夜明けが近い事を示していた。
  造り付けられた窓の、明るめの色調のカーテンを引いてみる。
  遠く、彼方の空が、白み始める様が映し出されている。
  「……でも、これは作り物、だ」
  えて、声にして、呟いてみる。
  そうだ。
  窓は在っても、その向こうは外ではない。
  無機質な機械の集合体だ。そして、更にその向こう、何重に折り重なった、隔壁と、通路と、装甲板の先は……宇宙。
  しかも今、この艦があるのは、遠く太陽を隔てること50数億キロの彼方。
  天王星軌道を越え、むしろ海王星や冥王星に近い位置だ。
  ここまで遠ざかれば、もはや陽の光などと呼べるようなものは、差しようも無い。
  太陽といえど、夜空に見上げる星々と比して、少々見つけ易いというぐらいだ。
  「俺、は……何を、してるんだ、こんな所で……」
  何がしたいんだ?
  「ッ!」
  余韻なのか、それとも残響か。
  脳内を駆け巡るインパルスを振り払うかに、耳を塞ぎ、頭を振りたくった。

  「優輝、ここらは どの辺りになるんだ?」
  「ん。おおむね、冥王星の軌道に差し掛かる所かな」
  「冥王星か……これを越えれば、いよいよ太陽系を離れるんだな!」( *゜∀゜)ムフー
  志賀さんの言葉に、先輩が苦笑いで返す。
  「いやいや。まだまだ全然、10分の1も来てないよ」
  「な、何!? どういうコトだ?」Σ(゜д゜;)
  「この先には、カイパーベルトっていう領域があるんだ。そこまで行って、ようやく10分の1。更にその10倍の距離を進んだ先が、オールトの雲。そここそが、太陽系の最外縁。文字通りの“最果て”さ」
  「じゃ、今は?」
  「……まだ、3%くらい?」(笑
  苦笑混じりのまま、肩をすくめて見せる先輩。
  「マジか……」
  呆然ぼうぜんとする志賀さんに、僕らは苦笑いを浮かべるしかなかった。
  ここから数日の間は、これといった何事も起きなかった。
  まあ、そうそうアクシデントばかり起きてもらっても困るというものだが。
  あった事と言えば、ホーン・ド・コアの2号機、3号機が相次いで完成した事とか、量産型コスモ・シャドウの名前がコスモ・ワーカーに決まった事とか。
  それぐらいかな。
  この頃から先輩は、ちょくちょく席を空けて、どこかへ行く事が多くなった。
  一度、探してみた事があったんだけど、結局見つからなかった。
  考えてみれば、この巨大なフネの中で僕が行ったエリアは、半分にも満たない。
  先輩に近い僕でその程度なのだから、他の人なら更に限られているだろう。
  そして多分、そんな乗っている人達の中で、先輩だけが全てをっている……。
  そんな気がするんだ。
  まったく、どこまで謎なヒトなんだろう?

  「よう、東条。ついに こんなトコロまで来やがったな、大悪党め」
  座席の肘掛けに頬杖を突き、踏ん反り返った画面の中の男が、にやりと笑いつつ開口一番、毒を吐く。
  「……相変わらず口が悪いのぅ、アクセルよ」
  さも辟易へきえきしたという風に、東条さんが応じる。
  太陽系外縁天体の1つ、ハウメア
  2241年に発見された、冥王星の1/3もの質量を持つ、中々の大きさの天体である。
  そこを調査している探査船団と接触すべく進んでいたG・サジタリアスだったが、結局、ハウメアまで到達する事は無かった。
  探査船団の予定が繰り上がっていたらしく、ハウメアの遥か手前での遭遇となったのだ。
  だだっ広い宇宙で、目印も無しに、点に過ぎない2つが接触なんて出来るんだろうか、という僕の不安は、詰まる所“素人シロウトの気苦労”というものらしかった。
  何の問題も無く、今、探査船団に並んで停泊するG・サジタリアスがあった。
  「ケッ、おェの しでかした事に比べりゃ、かわいいもんよ」
  「あれは事故だったんじゃ。……と、言った所で、しようも無いがな」
  「ま、お前ェが言うんなら、事故だったんだろうよ」
  自嘲じちょう気味に呟く東条さんを、アクセル氏は、余りにもあっさりと肯定した。
  「信じるというのか?」
  「お前ェみてぇな胡散臭ぇ奴ぁ、俺ぐれぇにしか信じて貰えねぇだろうからな。ガハハハハ!」
  驚く東条さんを見、アクセル氏は さも愉快そうに、豪快に笑い飛ばす。
  「……目眩めまいがしそうじゃよ」
  「あの、東条さん」
  気になる事案が ちっとも出て来ず、痺れを切らした僕は割って入る。
  「ん? どうしたレイジ君」
  「火星の状況を聞いておいた方がいいんでは……」
  「むっ……そうじゃった。アクセル、おヌシ、火星がどんな状況か聞いておるかの?」
  「ン? 聞こえて来てるにゃ、聞こえて来てるんだがな。どいつもこいつも錯乱さくらん気味になっちまっててなぁ。どの情報が事実なのか、俺にゃ判断できん所だな」
  「そうか……」
  「それで? お前ェはどうすんだ? まさかバカ正直に、お縄を頂戴しに帰ろうってんじゃねぇよな?」
  「一時は それも考えたがのぅ……」
  「おいおい、お前ェ歳考えろや。まず間違いなく塀の中で くたばっちまうぞ。夢ァどうした。泡になっちまってもいいのか?」
  「そうは言うがの。勢い、ここまで来たが、あんな事をしてしまったのでは」
  「…………」
  そこまで聞いて、一瞬黙ったアクセル氏は、一つ舌打つ。
  「やァれやれ。こんな奴からかっても面白くもねぇ、ここらでネタバラシすっか」
  「ぬっ?」
  「安心しな。お前ェ等が やったのは、土木工事の手間ァ省いたぐれぇよ」
  不審がる東条さんに、何とも判断のしように困る言葉が投げられる。
  「どういう事じゃ?」
  「ようはだ、誰も おっちんでねぇ、って事よ。確かに でけぇ穴っぽこは開けたが、それだけだってこった」
  「……信じて良いのじゃな?」
  普段しないような真剣な表情で、東条さんは問い直す。
  「俺にだってな、知り合いぐれぇ居るんだよ、あちこちにな。その一人が火星に居る。そいつからの情報だ、間違いねぇよ」
  「…………」
  今度は、東条さんが黙ってしまう。
  「行ってこいや、東条。お前ェの人生賭けた夢なンだろうが」
  「……おヌシの存在を、これ程有り難いと思った事は無いぞ、アクセル」
  それはもう、直接顔を見るまでもなく、涙声だった。
  「よく言うぜ。だがよ、堪能したら帰ってこいや。お前ェにゃまだまだ貸しがあるんだからな」
  「うむ……。返してやるわい、のしを付けてな!」
  こうして、探査船団と別れ、G・サジタリアスは今度こそ、深宇宙への果ての無い旅路へ入った。
  ほんの少し、僕等の心を軽くして。
  それは、去り際にアクセル氏が送信してくれた、火星の状況図のお陰だったろうか。
  それによると、あれだけの爆発にもかかわらず、見事としか言い様が無い程に、居住区も、ライフラインも、とにかくあらゆる建造物を避けていた。
  確かに火星は、他惑星で最初に入植が始まり、地球以外では最も人口が多い星ではある。
  とは言え、太陽系全土でも6億程の現在、多いと言っても1000万居たかどうか。
  その殆どは、当たり前だが都市部分に居る。
  そして、まだ人工建造物から生身で出られる程の環境下に無い火星の都市は、地球と違い、一箇所に固まっていた。
  ぐらいなのだ。
  ただ、状況が全く判らないままだった故に、不安がぬぐえなかった、というだけの事だ。
  もちろん、大穴を開けた事は、それはそれで問題はあるだろうけど……犠牲者が居なかったと判っただけでも、随分気が楽になったものだ。
  「それにしても、何と言ったらいいのか……豪快な人でしたねぇ」
  「あやつは昔から、ああいう感じだったからのぅ。豪放磊落らいらくを絵に描いたような奴じゃ」
  溜め息を吐きながらも、東条さんに嫌そうな感じは無い。
  僕は僕で、先輩本人も その場に居た事もあり、流石に“先輩そっくりでしたね”などとは言えないのだった。
  ――と、その時。
  どこでかは判然としないけれど、硬質な音が鳴った。
  それは、昔やっていた“ドラム缶を的にして、石を投げて当てる”遊びの時に聞いた音に似ていた。
  「?」
  「隕石かな? バリアが調子悪いのかも知れないね。様子見て来るよ」
  きょろきょろと辺りを気にした僕に気付いた先輩は、そう言って席を立つと、どこかへ向かった。
  自分でも気にし過ぎだと判ってはいた。それでも、今まで起きなかった事が突然起こると、それがどんなに小さな出来事でも、気になってしまうものなのだ。
  何かの予兆なんじゃないか、対処した方が良いんじゃないか、ってね。
  だけど、この時のこれは、誰にも予測できない結果を もたらす事になる。
  “闇”は、深く、静かに……忍び寄っていたんだ。

  その時、僕は第一艦橋へ戻ろうとしていた。
  戻る?
  そう。何となくだけど、僕は僕の居場所が、そこだと感じていた。
  他の多くの人達は、推奨されていた事もあって、日の大半を重力ブロックで過ごしていたけど、僕は足を向ける事が少なかった。
  ずっと無重力にさらされているのは、身体には良くはないんだろうけど、基本、何かが起こるとしたら、第一艦橋ここだろうから。
  こんな事を言うと、まるでアクシデントを待っているように聞こえるかも知れない。
  でも起こる事全てが、アクシデントとは限らない訳で。
  時にはワクワクするような出来事もあるんじゃないだろうか?
  それは都合の良い、希望的観測だろうか?
  ……希望的観測だとしても、ここまでに起きた様々な事を考えれば、“そちら向きに”考えなければ、どこまでも思考が沈んで行くばかりだった。
  「〜〜!?」
  どうやら、考え事にふけるあまり、注意力が落ちていたようだ。
  声にならないうめきを漏らしながら、僕はまたしても、半回転して通路の天井に降り立っていた。
  もちろん理由は……。
  「美緒さん……」
  他のやり様は無いものなのか、と問いたかったが、あの瞳で見つめられては、それも躊躇ためらわれて。
  あきれた感が声に乗っていたのを悟ってか、一旦、手を放してくれたのだが、もう半回転をして僕が床に立つと、わざわざ後ろに回って、また裾を掴んでいた。
  さすがに二度目ともなれば、テコでも放してくれないだろう事は、諦める理由として充分だと理解もしていた。
  「……艦橋に行きたいんだけど、いいかな?」
  振り返り、一応たずねると、今回もコク、とうなづいてくれた。
  何だか、何かの資料映像で見た、列をして移動する親子連れの鳥のを思い出してしまった。
  (僕は、親鳥?)
  らちも無い思考で疲労感を追いやりつつ、改めて、艦橋へ向かうエレベーターに乗った時。
  行き先を指定する為、ボタンに向き直ると、視界の中に見覚えのある服装――の、一部――を見た気がした。
  (あれは、シャマ?)
  見えたのは一瞬。距離もあり、定かではなかったが、どうやら間違いはなさそうだった。
  この間とは、立場が逆になったらしい。
  だからどうという事も無い……筈なのだが。
  エレベーターが第一艦橋のフロアに着くまでの短い時間、僕の思考はシャマで埋まっていたような気がする。
  何を思っているのか。
  何をり所にしているのか。
  彼の存在が、少なからず僕の心中を波立たせるのは何故なのか。
  考えても仕方ない事ではある。
  彼に限らず、“自分以外の他者”の考える事など、判る筈もないのだから。
  「おう、レイジ」
  艦橋に着くと、先輩はらず、志賀さんと原田さんだけが居た。
  「志賀さん。先輩は また居ないんですか」
  「あぁ、俺が来た時には、ジィさんしか居なかったな」
  ジィさん、とはもちろん、東条さんの事だ。
  今ここに居ない事を考え合わせると、僕等と入れ違いに艦長室に引っ込んだのだろうか。
  「あら……美緒?」
  原田さんが、僕の後ろの美緒さんに気付いて、目を丸くする。
  「あ、ええと、これは、その」
  状況の説明は、非常に困難だった。
  何と言っても僕自身からして、理解に苦しんでいるのだから。
  「ほぉ……左様か」 ( ̄+ー ̄)
  志賀さんが、なるほどねぇ、とでも言いたげに、ニヤリと笑う。
  「なな、何ですか〜、その笑いは」 Σ(~д~;)
  「いやいや」
  今にも声を上げて笑い出しそうな志賀さんを見ていられず、僕はうっかり、視線を原田さんに向けてしまっていた。
  「佐々木君……ありがとう」
  視線が絡まった所で原田さんの口から出たのは、僕にとって全く予期せぬ一言だった。
  「ぇ?」
  「美緒ったら、ほとんど部屋から出ようとしなくて。連れ出してくれたのね」
  まさか? という思いが、僕の感想だった。
  何かが噛み合っていなかった。
  もう何度も、美緒さんを見ているからか。
  でもそう言われてみれば、初めて美緒さんを見かけたあの時、姉妹がやり取りをしていたのは、二人が使っている部屋の入り口だった。
  「ただいま〜」
  その事で質問しようとしたけれど、相変わらずの良いのか悪いのか判らないタイミングで、先輩が戻って来る。
  「優輝、毎度どこ行ってんだ? お前」
  「色々やる事があってねぇ」
  志賀さんが訊ねるが、苦笑い一つで流されてしまった。
  「何だよ色々って……俺達には言えない事なのか?」
  「説明すると、相当長くなるよ〜? 専門知識総動員しても、半分ぐらい判らないモノを扱ってるんだから仕方ないんだけどねぇ」
  食い下がる志賀さんだったが、あっさり いなされてしまう。
  自分の席まで流れ着く間に、原田さんとも一言二言交わした先輩は、座席に掴まって、身体を座面側に流そうとして、止まる。
  「ん?」
  制御卓コンソールに目を向けた先輩は、何かに気付いた。
  「? どうしたの、優輝君」
  「…………」
  先輩は、答えない。その目は、コンソール全体をせわしなく行き来していた。
  見る間に、表情が変わる。
  「何だ!?」
  慌てて席へ着き、コンソールを操作し出す先輩。
  まさにその刹那せつな。耳をふさぎたくなる程の大音量で、警告音が空間を満たした。
  「うあ!? これは……?」
  コンソールが、普段とは異なる色彩に包まれていた。
  異常な事態であることは、誰の目にも明らかだったが、それが“如何いかなる異常”なのかを理解できる者は居なかった。ただ一人、先輩を除いては。
  「HFドライブが起動した!? そんな!」
  常に鷹揚おうようとしている先輩が、色を失っていた。それだけでもすで尋常じんじょうではない状況だが、この時の先輩の動揺は、度を越していた。
  コンソールを操作しようとするも、何度もミスをしているようで、その都度に顔を歪めていた。
  「だめかッ、止まらない!」
  最後にはコンソールを叩いて、突っ伏してしまう。
  「先輩……一体何が……」
  恐る恐る、声を掛ける。
  突っ伏したコンソールから僕に向けられた先輩の顔は――幽霊さながらに、蒼白。
  「っ」
  余りの異様な光景に、僕は知らず唾を飲む。
  「空間跳躍航法が――起動してしまった」
  ぽつり、と、優輝が呟く。
  「え?」
  「まだ、完成していないんだ、こいつは」
  最早その場の誰も、声を掛けようとはしなかった。
  「……行き先すら指定できない。いや、それ以前に、無事に済むかどうかも判らない。どこに跳ぶのか、見当も付かない。跳躍が成功したとして、出た先が安全とは限らない。安定空間に出られたとして、艦が無事に済むか判らない」
  青ざめた顔で、どことも知れぬ方へ視線を彷徨さまよわせつつ、先輩は独り、呟きを継ぎ足す。
  「な、に!?」
  「そんな……」
  思いつく限りの言葉を列挙するかに、先輩の独白が続く。
  一見、ネガティブな内容ばかり喋っているように聞こえたが、何故か僕には、そうする事で先輩が、徐々にではあるが冷静さを取り戻しつつあるように思えた。
  そんな、場違いな思考に走る事で、ようやく僕自身も、多少の余裕を取り戻した。
  「取り敢えず、皆、何かに掴まろうか。後はもう……出来ることは無いしね」
  先輩が周囲を見回し、促す。
  その表情からは、絶望も希望も感じられない。
  ただ、落ち着き払っている、と見えた。
  そんな、艦を最も知る青年の言葉ゆえに、従うしかないと悟った その場の人達は、バラバラと席に着き始める。
  僕は美緒さんにも、別の空いている席へ着くよう促したが、掴んだ裾を放してくれそうに無かった。
  もう時間は残されていない。
  切羽詰まった僕は――そうしてから、随分大胆な事をしてしまったと思ったものだが――美緒さんを膝の上に座らせる格好で席に着き、彼女ごとシートベルトで体を固定した。
  唯一の好材料と言えるのは、幸か不幸か、多少の猶予ゆうよがあった事だろうか。
  もちろん、この時間を使い、全艦内にも同様の通達がなされて、全員が体を固定した……はずだ。
  『HFドライブ、カウント、スタート』
  刻一刻、時計の針は進んで行き、誰もが今しも叫び出しそうな顔をする中、無機質なアナウンスが流れ始めた。
  「さん……!」
  誰かが呟いたらしかったが、艦の揺動音に半ばき消された上、力一杯目を閉じていた僕には、誰かは判らなかった。
  『5……4……3……2……1……』
  無常にも、止まる事を知らぬげに、カウントはとどこおりもなく進行し――
  “その瞬間”は、訪れた。
  『HFドライブ、スタートシマス』
  「――!!」
  大声で叫びたい衝動に駆られたが、膝の上の美緒さんの事を考えると、ぐっとこらえるしかなかった。
  そして――世界が暗転した。

  掻き消えるように太陽系空間から姿を消すG・サジタリアスを、黙して見送る存在が在った。
  宇宙の闇に溶け込もうとするかに、黒い――漆黒しっこくの、航宙艦と見えた。
  かすかな星々の光も映さず、シルエットすらも判然としない そのフネは、G・サジタリアスが消え去ってしばらく後、同じ様に姿を消した。
  誰何すいかする者も無い、無窮むきゅうの宇宙空間に、2隻の航宙艦の推進器が起こした、推進音の振動だけが残響として残っていた。
  他方。
  太陽系を騒がせた一せきの大航宙艦が、忽然こつぜんと姿を消したとの報は、ゆっくりとではあるが、太陽系全土へと伝わった。
  人々の中には、これでようやく、と胸をで下ろす者も少なからず居た。
  自明の事だ。
  好んで災いを呼び込む者など、そうは居ないのだから。
  だが、太陽系の歯車は この時 すでに、誰に知られる事も無く、狂い始めていた。


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