PHASE_3 「目算は どこまでも甘く」

  どんなに言語を尽くしても、そこに心が乗っていなければ、他人の心を揺り動かす事は出来ない。
  そして、どんなに言語を尽くしても、そのすべてを他人に伝える事は出来ない。
  言葉は文明の利器では あっても、万能器では ないのだから。

  1G環境の効果は、想定外の所にも出ていた。
  顔が細くなった? と聞かれたのだ。
  自分では気付かなかったけれど、無重力にさらされていた時間が長かったせいか、どうやら顔が むくんでいたものらしい。
  そこまでの差が出ていたとは、正直驚きだ。
  そして もう一つ。
  普段から居住区の個室を使う人が増えていた。
  今までは、寝室として使っている人は居たけれど、日中ここに居る人は ほとんど居なかったのだ。
  人通りの増えた通路を抜けて、元・重力ブロックへ向かう。
  ここは、相変わらず回転を続けていた。
  艦内全体が1Gになったとは言っても、ドラムの中の物を全て運び出す場所は無い。
  なので、回さざるを得ない、と言う方が正しいだろうか。
  もし止めたら、上半分のエリアに あるものが、全て落ちて来てしまうからねぇ。
  ドラム内の広場へ入る頃には、静かな旋律が空間を満たしているのが判った。
  色々あって忘れていたが、宇宙へ出てすぐ、据え付け作業をした、あのピアノ。
  どうやら、太陽系を離れた頃から、白長滝しなたきさんが、不定期に弾くようになっていたらしい。
  僕は あの辺りから、サーチ・ホーンで艦を離れる事が増え、ここへは来なくなっていたので、知ったのは つい先日の事だった。
  広場の隅のベンチに腰を下ろして、調べに身をゆだねる。
  彼女のピアノを聴くのは、学園祭以来、二度目だった。
  やはり、上手い。いやむしろ、あの時より上手くなっているのではないだろうか。
  音楽に関しては さっぱりの僕が言うのも、どうかとは思うが。
  しかし、それを裏付けるように、聴衆は結構な数に上っていた。
  艦に乗っている人の半分以上が、ここに居るように見えた。
  ふと気づくと、弾いている白長滝さんの そばに、シャマが居た。
  彼女の背中を 見つめる格好で、じっと聴き入っているようだった。
  そんな二人を見ていたら、何故か、美緒さんに会いたくなっている自分が居る事に気付いてしまった。
  (……いやいや、何故そうなる?)
  思わず自問する僕は、まったく気付いていなかった。
  (レイジ)
  「!? ――モガッ」
  (しー)
  うっかり声を上げそうに、いや少し出してしまった僕の口を、美緒さんの手が塞いでいた。
  (いいいいつから そこに!?)
  (レイジ、座ったの見たから)
  (そんな前から!?)
  美緒さんが、ようやく手を放してくれ、呼吸が解放される。
  すうはあ、と一旦呼吸を整える。
  僕の口に当てられた美緒さんの手は、温かくて、柔らかくて――しっとりしていた。
  ……一応 言っておくけど、僕が舐めたからとか、そういうんじゃないからね?(-_-;)
  (顔、ころころ変わって面白かった)
  (えええ? ……そんなに?)
  (うん)
  面白かった?
  そんな単語は、初めて聞いたかも知れない。
  そういえば、表情こそ変わらず無いものの、初めて会った時から比べて、その瞳には感情が宿っているようにも思える。
  快方に向かっているのであれば、観察対象にされるぐらいの事は、喜んで受け入れるが……。
  もっとも。
  詰まる所、僕は この年下の少女に、い様に遊ばれているだけなのかも知れなかったが。

  M13銀河には、僕等と変わらない姿の人類が居た。
  それが何を意味するのか、今の僕等には知り様が無い。
  ただ一つ、判っているのは、地球では300年間 起こっていない、人同士の争い――戦争――が、起きようとしている、という事だけだった。
  いや、地球だって、もし“大戦”が起こっていなかったら、どうだったかは判らない訳だけれど。
  あれから3日ほどが経ち。
  リューフェ星系を離れたG・サジタリアスは、次の目的地を決めかねていた。
  普段から艦橋に居るメンバーの中でも、意見が分かれていたんだ。
  このM13銀河に今しばらく留まるか、即刻立ち去るか、という話だ。
  「儂は、もう少し見て回りたいんじゃがのぅ」
  「そんな事 言って、戦争に巻き込まれたら どうするんだよ? じーさん」
  議論は、東条さんに合わせて開かれた。
  体調を崩したという事でも なさそうなので、単に歳のせいかも知れないが、随分睡眠時間が長くなり、艦橋に長居出来なくなっていたのだ。
  「G・サジタリアスこのフネなら、どうってコタぁねぇよ」
  「そんな簡単に決められる事じゃないだろ……。僕等だけが乗ってるんじゃないんだから」
  コンコンと床を踏み鳴らす嵯峨さんに、たしなめる優輝先輩。
  この他に、艦橋には僕、美緒さん、原田さん、優子さん、マセラトゥさん、ソウマさん、御堂さんも居た。
  ソウマさんは、居るというより“映し出されている”訳だが、これも例によって、若干の経歴詐称を経ていた。
  例って? もちろん、嵯峨さんと御堂さんの事だ。
  嵯峨さんは そもそも人の身体ではない所を、人っぽく見せているし、御堂さんは見たままの年齢だという事になっている。
  ソウマさんの場合は、メインコンピュータに擬似人格を与えた、というになっていた。
  後は……御堂さんを艦橋で見るのは、初めてなんじゃないだろうか?
  ともあれ、話し合いは水掛け論の様相を呈して、結論に至る道は見えそうもなかった。
  ここで決まる方向性は、それだけ重大な意味を持つのだろう。
  この、終わりの見えない議論の間も、艦は進んでいた。
  恒星間航行速度で進んでいた為、ざっとだが、すでにリューフェの隣の星系へ入りつつあった。
  慣性制御が可能になった事でGの制限が解除され、恒星間航行速度と言っても、それ以前とは出せる速度が桁違いになっていたのだ。
  そうして僕は、現在位置を確認するつもりで、空間座標を立体的に視覚化するマップを表示していたのだが、そこにおびただしい数の光点が映っている事も、気付いてしまった。
  「あっ!?」
  「レイジ?」
  思わず出てしまった僕の頓狂とんきょうな声に、全員が振り返る。
  「この先に、凄い数の何かが居ます!」
  時間が経つに連れ、光点についての情報が増えて来る。
  いや、或いは、おぼろげに想像は ついていた。
  光点は、二つのグループに分かれていた。
  「奴の言ってた“小競り合い”ってのか」
  どうやら嵯峨さんも、当たりを付けたらしい。
  艦に制動を掛けさせ、速度を落としていく。
  慣性制御の お陰か、以前の様に つんのめる事は無かった。
  「まずいよ、離れよう」
  「気にする程でも ないじゃろ」
  「いきなり撃たれたり しねえだろうな?」
  「こっちゃ たった1隻なんだ、そりゃ無ぇだろ。むしろコソコソする方が、怪しまれて確率高くならぁ。堂々と ド真ん中 通らせて貰おうぜ」
  「ええっ!?」
  こそこそする方が、という辺りまでは、僕も賛同出来たんだけど、さすがに残りの部分は仰天してしまった。
  幾ら何でも、肝が据わり過ぎですよ、嵯峨さん。
  まだ相当の距離があったが、艦外映像の望遠機能で、少しずつ、全体の状況が見え始める。
  やがて、それぞれの艦の外観が見分けられる程度の距離に入る。
  ここまで近付けば、先方も気付いている筈だ。
  だが、どちらからも、これといった反応は無い。
  「似ているな」
  「ん?」
  「航宙艦が似ている。編成にもるんだろうが……どちらも、似たような位置に居る艦が、そっくりだ」
  御堂さんが、その観察眼を発揮する。
  睨み合いを続ける、二つの艦隊。
  一方には、クーゲルという人の乗っていたものと同型の艦も見えた。
  となれば、こちらが帝国軍艦隊なのだろう。
  もう一方の艦隊には、見覚えのある艦は無い。
  けど、帝国軍と対峙しているとなれば、南天連合軍の艦隊と見て間違いないだろう。
  視覚では判らなかったが、両艦隊共に、じりじりと距離を詰めており、いつ戦端が開かれても おかしくない状況である事がうかがえた。
  嫌な汗が、首筋を伝う。
  緊張感、なんて言葉では、全く役不足だった。
  目の前で戦争が……が始まるのだという事実が、ぴりぴりと、肌に何かが突き刺さるような感覚を生んでいた。
  「だめだ……」
  「優輝?」
  嵯峨さんが、艦橋から居なくなっていた事に僕が気付いたのと、先輩が呟いたのは、ほぼ同時だった。
  「だめなんだよ、戦争なんて――しちゃあ!」
  「そりゃ……そうじゃ。だがの、我々は所詮、余所者。何も出来ぬよ」
  東条さんが、なだめるように静かに言うが……。
  「だからって!」
  「優輝!」
  「放って置く訳にも いかないだろ!?」
  それ以上の反論を許さぬかに、先輩は艦橋を飛び出して、行ってしまった。
  「優輝……」
  「先輩……」
  誰も、後を追おうとはしなかった。
  言葉に こそ出来ないものの、誰の内にも、言い知れない感情が引っ掛かっていたからだ。
  「美徳、とは言えないな、優輝君。そして、は、もう君の仕事ではない」
  一人、黙って状況を見ていた御堂さんが最後に付け加えた言葉は、幸か不幸か、僕以外の誰かの耳に入る事は無かった。

  慣性制御は、艦内の全てに施された訳ではなかった。
  その例外の一つが ここ、格納庫だ。
  扱う物が物 ゆえに、万一の事態を想定したものらしい。
  格納庫へ入り、壁からヘルメットを むしり取った優輝が、最短距離でコスモ・シャドウのコックピット目掛け飛ぼうとするが。
  優輝の肩を、強い力で誰かが掴んだ。
  「むわて、コラ」
  「!? あ……」
  丸い、小さな鼻眼鏡が視界に入る。
  ――その男は、父、嵯峨 光政だった。
  「ハナシは後だ。もうコスモ・シャドウそいつは、お前にゃ動かせねぇよ」
  「何を言って――!?」
  「どけってェの」
  優輝を押し退け、有無を言わせぬまま、嵯峨はコスモ・シャドウへと乗り込んでしまった。
  発する言葉の見つからぬ優輝を尻目に、起動したコスモ・シャドウのコックピットが、明滅する。
  『おら、真空そとへ放り出されてぇのか。とっとと艦橋ブリッジに帰ってろ』
  「な……」
  二人に気付いたシモンが、放心状態の優輝を引っ張って下がり、機体用の個別耐圧シャッターを閉じる。
  『退避、確認。コスモ・シャドウ、出るぞッ!』
  インパクト・ドライブ特有の、金属で金属を殴った様な、重い衝撃音を残し、発進して行くコスモ・シャドウ。
  取り残された格好となった優輝は、暫く放心していたが、やがて とぼとぼ と艦橋へ戻っていった。
  再び前方へと視点を戻すと、両軍のたいは無論、続いていた。
  後に分かる事だが、この時 両陣営では むしろ、突然現れた見慣れぬ 第三勢力フネ――要はG・サジタリアスの事だが――の動向に注意が いっており、戦端を開くどころでは なかったらしい。皮肉とは、まさに この事だろう。
  「何だ? あの異形の航宙艇は」
  丁度、両軍の中程という所へ滑り込んだ航宙形態のコスモ・シャドウが、衆人環視の元、見せつけるように、その姿を変えてゆく。
  「なん、だと!?」
  「……! 人型ッ?」
  「これは何かの冗談か? 人だと!?」
  聞こえる筈の無い どよめきが、手に取るかに想像された。
  変形を終えたコスモシャドウは、通信波のチャンネルをオープンにしたのだろう、呼びかけ始めた。
  「どうだい? ここは一つ、天の采配さいはいってヤツに、ゆだねてみないか?」
  『どういうことだ?』
  『大体、貴様は一体……何者なのだ!?』
  別の声が聞こえ、被せる様に、更に別の声が割って入る。
  「隣の銀河から、ちょいと立ち寄った、通りすがりのフネさ。……エルセイル、頼む」
  『了解だ』
  G・サジタリアスから、完成したばかりの改修型ホーン・ド・コアが、発艦していった。
  『何を?』
  「準備が出来るまで、少ぅし、待っててくれや。あぁ、それと、検分役を出して、ヤツを追っかけてくれるか? ……別に、黙って信じてくれるんなら、それで いいんだけどよ」
  程なく、両軍から小型機が それぞれ発進、ホーン・ド・コア改を追っていった。
  『準備は済んだぞ、サガ』
  数分の後――ホーン・ド・コア改が戻って来た。
  「おっしゃ。……よう、検分役は、配置し終わったかい?」
  『ああ。ここから30万キロ。発信機を取り付けた岩塊だな?』
  「そうだ」
  『こちらでも確認したが……。一体、何をしようと言うんだ!』
  帝国側は、既にG・サジタリアスについての情報が行き渡っていたのだろう、動揺は少なかったが、もう一方の勢力、連合軍にとっては そうではない。
  その声には、動揺と猜疑が ありありと感じ取れた。
  「慌てなさんな。なぁに、ちょっくら射的でも、ってな」
  『まさか!?』
  「ま、そういうこった。見事ブチ抜いたら――双方ここは引くんだ。……どうだ? そいつで」
  『バカな! 30万キロも向こうの、10mも無いような的を狙うというのか!? ふ、不可能だ!』
  さもあらん。それは、月面から地球上の、しかも家一つを射的しゃてきまとにするような ものなのだから。
  『よかろう』
  『な……! 正気か!?』
  『フ。どの道、という事だ』
  『異存は無い。やってくれ』
  『司令!? 一体何を――』
  『彼も言ったろ? どの道 結果は同じ、とね』
  『な、なるほど。どうせ当たる訳も無いと、そういう事ですな?』
  『…………』
  えて反論は しないようだった。
  「よォし。合意は取れたな? そンじゃ……行くぜッ」
  コスモ・シャドウの腕が、ゆっくりとライフルを持ち上げ、構えてゆく。
  ぴたり、と、その動きが止まった。
  「…………」
  『…………』
  思惑は違えど、誰しもが言葉もなく、成り行きを見つめている。
  静寂の中、銃爪ひきがねを引く その音は、やけに大きく聞こえた。
  『いっけぇ――ッ!』
  志賀の叫びに押されるように、光条が、真空を貫いて、彼方へと消えていった……。
  『……ど、どう、なったんだ?』
  『何! な、何かの間違いではないのか!?』
  『決まり……だな』
  『そのようだ。ここは お互いに引くとしよう』
  『了解だ』
  それを最後に、帝国、連合共に通信を切ったようだった。
  やがて、両軍は それぞれに反転し、その空域を離脱していった。
  「お疲れ――と、言うべきかな、ユウキ」
  帰艦した嵯峨を出迎えたのは、御堂だけだった。
  「なぁに、あの程度、朝メシ前よ」
  「やれやれ。まったく、お前さんも良くやる。呂布りょふ真似事まねごととはな」
  「いいじゃねぇか。少なくとも、この場は収まったンだからよ」
  「まあ、な。だが、それこそ単なる一時しのぎに過ぎないぞ。これ以上は」
  「関わるな、ってんだろ?」
  「理解わかっている筈だ。只でさえ我々は」
  『嵯峨さん、艦橋まで来てください。繰り返します、嵯峨さん――』
  「っと、お呼びだ」
  「ユウキ……!」
  「つもりとしちゃ、理解わかってるつもりさ」
  それだけ言うと、嵯峨は格納庫を出て行った。
  「……我々は、在りうべからざる存在なんだぞ」
  後に残された御堂の表情には、複雑なものがにじみ出ていた。
  そして御堂の危惧きぐ顕在けんざい化する。
  やがて、嵯峨の この行為が、M13銀河の、ひいてはG・サジタリアスの行く末を、大きくじ曲げる事となる。
  だが、今は まだ、宇宙は静謐せいひつに包まれていた。
  今は、まだ。

  連合を構成する星系の一つ、オルドス。
  ここに、各星系のトップが集まっていた。
  トップと言っても、首相や大統領といった、トップではない。
  実質的にM13銀河を支配しているのは、帝国でも連合でもなかった。
  惑星開発公社
  この、一見何の変哲も無い社名に思える企業は、帝国連合問わず、M13銀河社会の隅々まで根を張り、あらゆる業種を統括する、巨大な複合企業体であった。
  その影響力たるや、歴史に名を残すような政治家達が、こぞって「公社無しにはネジの一本も回せない」とまで言わしめる程だった。
  つまり、今ここに居る“トップ”とは、首魁しゅかい達、という事だ。
  「あの船が我々に助力してくれれば、帝国を叩くなど造作もない事なのだがな」
  「うむ、早速打診しよう」
  「果たして乗って来るか?」
  「あのような甘い考えの連中だ、軍人では あるまい。幾らでも丸め込める」
  壁面の大スクリーンには、連合艦隊によって撮られたのだろう、ライフルを構えるコスモ・シャドウが映し出されていた。
  「取り込んでさえしまえば、よしんば参戦を渋ったとしても、ていよく技術だけ頂いて、後は どうとでも、という事だな」
  「ふふ、ふふふ……。実に愉快だな」
  未だ、軽やかに羽ばたくG・サジタリアスであったが、謀略の魔手は、確実に迫りつつあった。


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